朝、大事な人から手紙をもらった。見せてもらったというのが正確かもしれない。長い年月にわたる後悔と、初めてそれを人に話すと決めたことが綴られていた。いつか話してくれたらいいなと思っていたが、こちらは待っているだけで強く踏み込む勇気のなかった話だった。苦悩は思っていたよりもずっと深かった。私の想像力が足りていなかったのだ。それなりに長い付き合いだけれど、こんなにも人間味のある人だったかと驚いた。私はその人の湖が心地よく、ずっとそばにいたけれども、湖に何が沈んでいるのか本当には知らなかった。ただ水底から起きる波紋は時折岸に届いていたように思う。
精神科医に見せるための通信簿を旧い方の実家に取りに行った。家財道具の運び出されたマンションにあまり懐かしさはなかった。トイレから上がってくる汚水の匂いがなんとなく空気全体に感じられた。小学生から中学生まで、中3を除く8枚の通信簿が見つかった。ざっと読んだところ低学年の頃整理整頓の欄に「がんばろう」がついているくらいで、素人目に問題児だったようには見えない。ただ全体を通して「動物や昆虫の世話をよくする」「委員会の仕事を真面目にこなす」「論理的で、授業中に意見を積極的に言う」というように学習や活動についてばかり書かれているのがちょっと気になる。小学校高学年になっても「休み時間、友達と過ごすことが増えてきました」「友達とけん玉をよくやっています」などと書かれているのは、ある種の裏返しではないか。実際小学校の頃は友達と打ち解けていた記憶があまりなく、休み時間は強迫的なルーティンに従って学級文庫の本を読むか一人で飼育小屋を見るか裏山を駆け回っていた記憶しかない。試しに弟の通信簿を読むと「友達の話によく耳を傾け、素直な話し方をする素敵な人です」と書かれていた。この差よ。専門家がこれを見てどう判断するのかわからないが、言われたことはそのまま受け入れようと思っている。
眠くてたまらない日で、仕事はほとんどできなかった。3連続取材がたたっているのか。10時間くらい寝たのに眠気が取れず、昼寝をしてもまだ眠たかった。