朝が2回あってつらい日だった。一度3時くらいに飛び起きて仕事をして日記を書いたんだけど、7時頃眠気に抗えず寝てしまい、次起きたら11時前で気分最悪になっていた。睡眠時間は合計で9時間超。こんなに寝たくない。「眠るな」の自分と「寝たい」の自分がずっと決闘している感じで、傍観者に置かれた自分はエネルギーを吸われて頭が空転してベッドにじっとしていた。
14時を過ぎたらようやく動けるようになって外に出た。今日はやけに匂いが強いし、車の音も大きくて脅威に感じる。耳栓をつけた。ひたすら悲しみと絶望がこみあげてくるが、たぶんPMDDも関係しているので、あまり取り合わないようにしようと思いながら歩いた。朝から食べてなかったので味玉ラーメンを食べた。こうやって書くと「はいはい、このパターンね」って感じのいかにもダメな日だ。ひと心地ついたのでカフェに入って仕事をした。
夕方家に帰ってまた少し横になり、なんとか風呂に入った。今日は同居人が料理する番だと思っていたが、実家に物を取りに行くというので、渋々夕飯を作った。面倒くせ~~と思いながら鶏ひき肉をつくねにした。コウケンテツさんのレシピで、ちゃんとおいしくなったのだが、「玉子の卵白はたねに入れて、卵黄はディップソースにする」というアイディアは、「家庭料理としては旨さが過剰」と感じた。居酒屋メニューならいい感じだ。コンビニ弁当を食べた時もよく感じるのだが、おいしすぎるのって日常の食事としてはあまりよくない。三口くらい食べたら飽きてしまう。その日あったことをぽつぽつとしゃべりながら気づいたら食べ終えている、くらいのおいしさがちょうどよいように思う。卵黄ディップは動画のシズル感に重心を置いているような気がした。虚無の時間にショート動画に耽溺していて思うのだが、人類の健康は文明の進歩によって前進し、一部のレシピ動画コンテンツによって後退するのではないか。もちろん視聴者全体の自炊テクニックは向上しただろうが、チーズと玉子を惜しみなくサンドして断面からあふれさせ、最後にトーストしたパンの表面を包丁の背がシャララキンと撫でる、というようなタイプの動画は料理をフェティッシュなものに変えてしまっていると思う。普通の家庭料理動画だって、その文脈の元で過剰にならざるを得ない。しかし、なぜこうなってしまうのかといえば、動画が視覚と聴覚に限定されたコンテンツだからだ。今、味覚共有技術の研究が進んでいるそうだから、これが普及すればプロの料理人のガイドの元で複雑な味覚を学習する人たちが現れて、一億総ソムリエ時代になるかもしれない。そうなったらチーズの奔流やパイの破砕音に高揚していた私達の世代はずいぶん愚かに見えるだろう。