オンライン取材中に手元でパリッと音がして、見ると左親指のジェルネイルが剥がれてしまっていた。100均や300均の商品とはいえ説明書きではもう何日か保つはずなのだが、私のやり方がまずかったのだろう。ジェルネイルが剥がれたのはもったいないし残念だったが、剥がれっぷりそのものは大変気持がいい。爬虫類の脱皮のようだ。その取材に私の出番があまりなくミュートしていたこともあって、トークに耳を傾けながらも他の爪にちょっと力をかけると、パリッ、パリッと小気味よい音を立ててネイルがはがれていった。最後には手元にカサカサとした爪の形の薄片が残った。ベージュとコーラルピンクのグラデーションだったので、見ようによっては花びらに見えなくもない。不思議な愛着とともに両手の中に閉じ込めてチャラチャラと鳴らす。取材が終わって同居人に見せにいくと、どうでもよさそうではあったが「瓶に入れて取っておけば?」と言われた。なるほどそれはジェルネイル版の吉良吉影といった趣で面白い。一年を通じて溜めていけば四季の雰囲気が地層のように積み重なるだろう。しかしその瓶をうっかり倒してしまい、自分の爪のコピーがどっさり床にぶちまけられるところを想像して、やめた。自分の体から出たものに人は自分にしかわからない愛着を抱くものだが、それがいつまで経っても生活空間に居座っているのはやはり煩わしい。吉良吉影はなんで切った爪を集めていたんだっけ?→検索したら「精神的コンディション、特に殺人衝動の強さを推し量る指標にするため」だった。わかんね~。
Audibleで若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』を聴き始めた。この本が大好きで、いつか自分でもこんな作品を書けたらと願っているのだが、朗読版も大変素晴らしい。小山美光さんというナレーターの東北弁が耳に優しく、道を歩きながら聴いている間じゅうずっとうっすら涙ぐんでいた。自分のような他人のようなたくさんの声が自分の意志とは別に頭の中で鳴り響いているという感覚は、フィクションを作る人の多くが共感できるのではないかと思うのだが、その感覚をここまで突き詰めた小説を他に知らない。原作では語り手の桃子さんが生きてきた東北弁と標準語が入り交じり、その混淆具合が非常に巧みで、また互いの言葉を異化しあっているのだけれど、朗読版はグラデーションはあるもののおおむね東北弁のトーンで通してある。その演出について検討の余地はあるかもしれない。
ちょっと検索してみたところ、小山美光さんは作者の姉と同級生で、同じ遠野市のご出身、町まで同じということだった。方言がキーとなる作品でこういう朗読者が見つかったことは大きな幸いというほかない。2018年に東京で朗読会が開催されていて、その時は標準語部分を別の方が朗読したそうだ。このバージョンも聴きたかったな。