隣人に潔癖症、かつホーダー(溜め込み)の傾向を持つ人がおり、その人は今付近を工事する関係で、外にまであふれているたくさんの物をどかすよう告示されているのだが、期限日の前日になっても物の配置が多少変わったくらいで物量はほぼそのままなので心配だ。なんなら片付けを試みる過程で発掘されたのかちょっとおしゃれな瓶や気の利いた小皿などが増えている。この期に及んで新しいもん飾っとる場合かいっ、と突っ込みたくもなるのだが、私はこの人と気持ち良く挨拶を交わす間柄でしかないので、介入したい気持ちと他人の柔らかな部分に無遠慮に触れることになるかもしれない恐れとを持て余している。
そう、挨拶くらいはするのだ。その人は大変物腰が柔らかい。しかしその挨拶というのも、その人が狭いところに物を並べてしょっちゅうごそごそ何かやっていて、私がそこを通ろうとすると声をかけてどいてもらわないからといけないから発生しているものであり、本来は人間2人がすれちがうだけの道幅は十分ある。その人が物を溜め込んでいなければ会釈程度で事足りるので、そもそもこういう風に勝手にハラハラするだけの思い入れもなかったかもしれない。
自分が大量の荷物をどけなければならない立場だったらと想像して毎日気まずい気持ちになる。そして頭の中でその人に向かっていろいろに話しかけるが、言葉はいつも生煮えだ。何を伝えたいんだろう?大変そうですねっていうこと?そう、それはまず言いたい。季節を問わず外の水道で長時間手を洗っているのも、毎朝玄関を開けて外に出る前に部屋から数分にわたって物を動かす音がずっとしているのも、他人にはゴミにしか見えない物の堆積も、たぶん本人にとっては必然性がある。それらの癖とともに生きてきたのだと思う。それは伝えたい。とはいえ…。とはいえ、私は毎日物の山のそばを通る度にその人の健康状態が気にかかる。癖とともに生きることに本人が満足しているならいいけれど、もし苦しいのにそれをやっているならぜひ専門家に相談してほしいと思う。そして私は、地震や火事が起きた時にこの物の山が崩れて逃げられず死んでいく自分をちらりと想像してしまう。こうした景色が出口を失くして頭の中で毎日くすぶっている。