朝家を出て名古屋に向かう。旅の動機は日曜日にあるが土曜はおもに名古屋観光だ。長年相互フォローの友人が何度かこちらに来てくれていて、今度はその人の地元で会おうということになった。
市内の主要な商店街を案内してもらった。円頓寺商店街はレトロで居心地がよいところだ。急に農園と称する園芸ゾーンがあって公園につながっていたり、劇場の軒先で演劇をやっていてファンらしき人たちがそれを取り囲んでいたり。おすすめだという洋食屋さん「はね海老」で昼食を食べた。店構えに惹かれるが中が見えないので、自分一人ではきっと入れなかっただろう。海老フライは海老が開いてあって、先まで身がみっちりしていておいしかった。
次に大須商店街に連れていってもらった。円頓寺と比べると規模が大きく、お店も若者向けが多い。古着屋と韓国グルメとトルコ料理屋が続いたかと思うと、歴史の長そうなリサイクルショップが突然出現したりする。店内は半分がアイドルグッズ、半分が楽器や家電やオーディオ部品という感じで、エスカレーター横にあるジャンク品でできた壁は迫力があった。血圧計からスピーカーからワープロから、元が何かもわからない機器が内臓をぶちまけたみたいに基板やコードをむき出しにして壁を埋め尽くしているのだ。アンドロイド向けスプラッター映画のようだった。
商店街の中心にある大須観音は大きな本殿が立派だったが、鳩との付き合い方が独特だった。境内に鳩の餌を50円で買える小屋があり、観光客がひっきりなしに餌をやっているのだ。みんな鳩にたかられて喜んでいるような悲鳴をあげているような、どっちつかずの声を上げてくしゃくしゃな表情をしている。鯉や鹿はあっても鳩の餌やりが娯楽になっているのを見たことがなかったので驚いていると、友人は関西では一般的ではないのかとこちらも驚いていた。名古屋で育つ子供は神社などで鳩に餌をやって、油断した鳩を捕獲するのが「あるある」らしい。たしかに周囲では子どもたちが楽しそうにと笑っていた。が、触られてもないのに恐怖で泣き叫んでいる子どもも結構いる。群れの迫力に笑いながら写真を撮っていたら軽く肩を叩かれるような感覚があり、振り返ると顔の真横にいきなり鳩がいたので思わず叫んだ。
肩の衝撃に振り返った私の視界
目の虹彩がきれい
なんとなく、スマホを構えるというモーションを鳩は餌がもらえる吉兆と捉えているような気がする。「やってみます?」と言われて尻込みしたが、よく考えたら合法的に餌やりおばさんができる機会はそうそうないのでやることにした。小屋の窓を開けて50円を入れ、ぎっしり積まれたアルミの皿から1枚を取る。餌はよくわからないが小麦のようだった。鳩の方を振り返ると羽ばたきの音でいっぱいになり、手元と足元が来襲した鳩で埋め尽くされた。肩にも腕にも、頭にまで平気で止まってくる上、皿はもちろん激戦区で鳩の上に鳩が乗るような状態だ。どこからどこまで一羽の鳩なのかわからない。鳩一羽の重みは大したことないのだが、5羽も6羽も乗ってくるとさすがに腕にこたえる。「重い〜、怖い〜、ぬくい〜!」と悲鳴をあげた。手に触れる鳩の腹はすべすべで温かくて、その温かさが鳩の存在感をますます強くする。腕に止まった鳩にだけ餌を食べさせるといつまでたっても終わらないので、コツは麦を地面にまいてやることである。後で撮ってもらった写真を見たら、他の観光客と同じ嬉しいんだか怯えているんだかわからない顔をしていた。
コンパルでおしゃべりをし、閉門間際の名古屋城を冷やかした後、平和園で夕食を食べた。この時点で2万2千歩歩いている。平和園は歌人の小坂井大輔さんが2代目店主で、「短歌の聖地」と呼ばれる歌人が多くやってくる中華料理店だ。以前からおいしいらしいと評判を聞いて地図アプリにピンを落としてあった。入口近くのところにノートが積まれていて、そこには訪れた人の短歌がびっしり書いてある。詠み慣れた感じの短歌もあるし、私でも知っている著名な歌人の短歌もあるし、「おいしかったです!」というただの感想もある。注文した料理を待ちながらノートを読んでいると、餃子と炒飯とあんかけ焼きそばとチンジャオロースが次々到着した。どれも全部おいしくて、特に炒飯がパラパラで好きだった。小坂井さんに「短歌書いていってくださいね」と後押ししてもらったこともあり、食べ食べ考えて、久しぶりに短歌を詠んだ。
炒飯ついたレンゲこっそり舐めながら驚く舌の描くカーブに