「あの写真がまた見たいから送ってよ」と同居人に言われた。数年前に同居人が撮影した、私が部屋でうどんをすすっている写真のことだ。あまりにいい写真なので2人でゲラゲラ笑ったあとこちらにも共有してもらったのだが、古すぎてデータを見失ったらしい。私も今のスマホには入っていなかったので、わざわざ前の機種を充電して取り出して、送った。
あらためて見ると、同居人以外の人間にはとても見せられないが本当に良い写真だ。真冬の部屋着姿で髪はぼさぼさの私がベッドに腰かけ、片手鍋から直接うどんをすすっている。目はあえて見せつけるかのように大きく見開かれ、挑戦的な上目遣いでこちらを見ている。部屋はものすごく散らかっていて、ベッドの上にはオオサンショウウオのぬいぐるみとノートPC、マウス、湯たんぽ、ハンドクリーム、スマホが散らばっている。よく見ないと気づかないが枕の下でうさぎのぬいぐるみが下敷きになっている。ベッドの下の引き出しは半開きだ。足元の床も少し写っているが、アラジンストーブの他に脱ぎ捨てた靴下、湯沸かしポット、タブレットとスピーカー、本と文芸雑誌を満載した段ボール箱、片方だけのルームシューズ、カセットコンロが無秩序に置いてある。さらに向こうに見える台所の流しは汚れた皿と空の牛乳パック、食べ物の袋でいっぱいで、本来コンロ台を置くはずのスペースには頭の働きを良くすると謳うサプリメントのボトルが10種類近く置かれており、バスタオルなども干してあって生活感丸出しだ。
私という人間を象徴する写真だなと思う。多分、時期的には冬の不調のまっただなかで、それでも時々ある妙に呑気な一瞬を写したものだと思う。これを見ると、少しずつではあるが生活がマシになっているのがわかる。少なくとも今はカセットコンロを台所に置いている。引っ越してから長らくコンロのスペースを物置にしてしまい、仕方ないので居室の床にカセットコンロを置いて煮炊きしていたのだ。あと、湯沸かしポットも今は冷蔵庫の上にあるが当時は床に置いていた。時々蹴っ飛ばしてしまって残りの水をぶちまけてしまうのが最悪だった。片手鍋からうどんを食べるのは現役だけど、今は鍋敷きを使って机で食べる。
同居人の仕事に付き合って高野川沿いを歩いた。日中は暖かい日で、花粉症になりきっていない私も少し顔がかゆかった。河原はまだまだ薄茶色だが、かなり緑が押してきている。出町柳の古いおにぎり屋さんで高菜と鮭のおにぎりを買って食べた。仕事の手伝いが終わるとカフェに入って自分の仕事をしたが、あまり捗らなかった。代わりに今夜犬街ラジオで読む掌編のネタ出しをした。夕方、商店街で買い物してから帰って掌編の展開を詰め、夕飯を作った。
掌編は、堺市の仁徳天皇陵っぽい古墳について調べ学習をしている小学生2人の話。巨大な古墳には巨大な人間が埋葬されていると彼らは信じているのだが、中盤でそれがこの世界の現実らしいことが明らかになり、終盤では巨人が地上からは消えたが海に適応して生きていることがわかる。いつもなら何も決めずに書き出すのだが、今回は結構構成の大枠を決めてから書き出した。結果、50分で2400字くらい書けた。なかなか良い調子だと思う。ネタ出しとプロットをやり、かつそれぞれの作業に数時間のバッファを設けると、作業してない時間も頭のどこかで物語が醸成されていい感じだな(すごい当たり前のこと言ってないか?)
谷脇クリタさんはアボカドの手品でプロポーズをしようとしてくる恋人に翻弄される話。中津に「おいしいアボカド研究所」というのがあって、何日後に熟すかをばっちり把握したアボカドを売ってくれるらしい。北野勇作さんは桂九雀さんが高座にかけたという「百文字落語2」の、落語バージョンとほぼ百字小説バージョン。オチの種類を合わせ、謎解き、どんでん、変、に分類分けして解説してくださった。「長編小説って主人公が歩きだしたりして終わりがちですよね」というめちゃめちゃアホっぽいことを言ってしまったのだが、実際そんな気がする。歩き始めるとか、幕が上がり始めるとか、手を振るとか、広い風景を眺めるとかそういうのが多くて、ビシッ!じゃじゃん!って感じではない。決め台詞を言って終わるのも、ショートショートでは見かけるけど、長編ではあんまりない。やっぱりきれいに閉じすぎるとこなれ感が出ないからなのか、ラジオでは「開いて終わる」と言っていたが、空気孔みたいなのを開けて終わりがちな気がする。で、その感じを出しやすい描写の一例が歩き出す、なんだと思う。
ここまで書いて本棚にある長編小説をめくってみたけど全然そんなことなかったわ。全然みんな、ビシッ!じゃじゃん!で終わってる。彼らは生涯二度と会うことはなかった、「やめさしてもらうわ」、君を忘れない、拍手は鳴り止まない。そう、打消し表現で終わるのあるよね。私は掌編ばっかりだけどよくやってしまう。そもそもうちにはあんまり長編小説がなくて、短編集ばっかりだ。そして積読がいっぱいある。よくないな。Audibleで小説を聞いていると、ラストなのを知らなくても急に描写の解像度が上がって作品内の時間経過がゆっくりになるので、「お、終わるぞ終わるぞ」と思うのもよくある。いずれにしろ意地悪な本の読み方だなと思う。