雨雨雨、雨ばっかりだ。気分がくさくさする。早く低気圧にどっか行ってほしい。
一日がっつり取材の日だった。現場にはファッションや美容に関心のある人が多く、みな一様に朗らかだった。雑談の話題も韓国のマッサージ、韓国のトイレ事情、効果はあるが非常に痛い美容法、今季の注目コスメなどで、私はまったく刃が立たず静かに笑っているしかない。仕事の終わり際に「いやあ、何でもよく知ってますねえ」と言われて「そうですかねえ」と返したのだが、帰りながら自分の発言を思い返してハッとした。「ピロシキっていうのはロシアの揚げパンみたいなやつですね。甘くはなくて、中身はみじん切りした肉とか野菜とかゆで卵とか」「へ~、船で別府に行かれるんですか、じゃあ代替わりして新しくなったさんふらわあに乗るんですね、いいなあ」「猫ミームってあれですよね、ヤギがベラベラベラって喋って猫がハ?っていうやつ、あとハピハピ猫もめっちゃ流行ってますけどあれってたしか元ネタが閉店するペットショップの子猫で、それを思うと心に来ますよねえ」ものしりクンじゃん。他の話題についていけないこともあって、場が「あれってなんなんだろうねえ」っていうような話題に限って得意分野なので食いついてしまい、知らないうちに解説キャラになっていた。しかも自己開示は一切せずにずっと黙っているのに知ってる知識だけ早口で並べ立てるタイプのコミュニケーションだ。うわ~。いや、別に問題ない振る舞いだったと思うし、私の周囲ではむしろ普通なのだが、共同体によって会話のスタイルが全然違うことを思い知らされた体験だった。
夜、同居人と夕飯の後、お茶を淹れてチョコレートを食べた。私が「さっき私後で何か検索しようって言ったよな。なんやっけ」と言ったが、2人ともド忘れしてしまって出てこない。「もう少しで出そうなのに!気持ち悪い!」と同居人が言い、思い出すために夕飯時の会話を再現してみた。「ついに電子ピアノ買っちゃった」「それで何を弾きたいの」「特にないけど、YouTubeで映画音楽を聞いたりするとかっこいいなって思う」…「今日帰りにカフェに入ったら隣の席に大学生っぽい男女がいて、友達みたいやねんけど、女の子の方がサークルに4股かける男がおるって話をしてて」「そんなフィクションみたいな人がいるんだねえ」「そうそう、ドラマに出てくるクズ男みたいなやつほんまにいるんや~って」…「よう知らんけどファッションでは今テック系が流行りらしい、ほらこういうやつ。でもそんなん言うたらあんたもテック系やんな。作業着とか着るし」「このジャンパーの裾からシャツが出てるのはかっこいいの?」「うん」「そうなのか」「ウェーダー着て原宿行ったらまわりざわつくんちゃう」…やがて同居人が顔を上げ、笑顔になって「思い出したっ!」と言った。私はまだ手がかりさえ掴めない。ヒントをくれ、と頼んだ。「今日はきれいなモデルさんが来てたって言った」「うん、言った言った」「で、『私も今日は珍しく化粧して行った』って」「そうそう、『でもめっちゃ化粧くずれたけどな』って……あーっ!」私は大声を上げながら床にひっくり返った。「『蝶とか蛾の鱗粉を集めて化粧に使う文化って世界のどっかにあるんかなあ?』や!!」「そう!!」
というわけで、検索したいものの答えは「蝶や蛾の鱗粉で化粧する文化はあるのか」だった。思い出した瞬間、頭の中で閃光が破裂したようになり、衝撃でぶっ倒れてそのまま30秒くらい2人で大笑いしてしまった。めちゃめちゃ気持ちいい。実際に検索したらフィクション以外にそういう文化は見つからなかったが、そんなのどうでもよくなるくらい、思い出せたことそのものがめちゃくちゃ気持ちよかった。この快感ってなんなのか、という話になった。思い出したのは大北栄人、いとうせいこう、ダ・ヴィンチ・恐山が鼎談で話していた「笑い=エラー発見の報酬」という説で、これは「環境が何かおかしい時やいつもと違う時、見過ごしてしまう者よりいち早く発見できる者の方が生存に有利である。だからエラーを発見することに報酬系を発達させた個体が生き残り、その報酬が笑いとなったのではないか」という考え方だ(私の理解では)。それを応用すると、思い出せる方が生存に有利だから思い出すのは気持ちいいのだ、という考え方もできそうだ。
ちなみに鱗粉の利用については検索の範囲だと例が見つからなかったが、配列に注目して構造色や撥水性、発色などを再現する研究は行われているようだった。鱗粉を肌に塗るっていうの、絶対ありそうだけどな。