全体的にぼーっとして、霞の中にいるような一日だった。最近、夜寝る前に食いしばり対策用のマウスピースを装着しているのだが、昨夜歯にはめたら「ついさっきまでこれをつけていたような……」という錯覚に陥った。それほど印象の薄い日だった。
昼になんとか家を脱出したものの、作業場所に着いてみるとパソコンのアダプターを忘れてきたことに気がついた。最近バッテリーが劣化してきていて、電源なしでは1時間半くらいしか持たない。結果、大して作業が進まないうちに撤収する運びとなった。ちなみにこの日記を書いている今もアダプターを忘れてきているので、いつ電源が切れるかとヒヤヒヤだ。これって何か無意識の表れなのだろうか。本当は全然作業したくないとか?
夜に読んだ『宇治拾遺物語』の「石橋の下の蛇の事」が面白かった。女が菩提講に参加しようと道を歩いてると、前を行く女が石橋の石を踏み返した拍子にまだら模様の小さな蛇が這い出てきて、どうしたことか女の後をついていく。不思議に思って後をつけていくと、女も蛇も同じ菩提講の会場に入っていくのだが、なぜか周囲の人は蛇がとぐろを巻いているのに気づかない。菩提講が終わっても蛇は女の後を離れず、見ていると家にまでついていく様子なので、「蛇が何か悪さをするのでは」と気になって、また後をつけていく。蛇憑きの女は宮仕えをしているらしく、老女と一緒に暮らしていた。尾行した女は「上京してきたのだが頼りになる者がいないので、一晩泊めてほしい」と嘘を言って家にあがりこむ。「泊めてもらったお礼に麻を紡ぎましょう」と灯りをつけてもらって、麻をよりながら蛇を見張るが、蛇は何をするでもなく、またやはり他の者には見えないようだ。蛇のことを話そうかと思案するが、かえって自分に悪いことが起きたらどうしようと逡巡しているうちに灯りも尽きて女は眠ってしまう。朝起きると、泊めてくれた蛇憑きの女が不思議な夢を見たと話す。夢に腰から上が人で下半身は蛇の形をした者が現れて、「自分は前世で嫉妬深かったために蛇に生まれ変わり、石の下で身動きがとれないでいたけれども、あなたが石を踏み返したので外に出られた。またはからずも菩提講で仏法に出会い、罪は消えて人間に生まれ変わるだけの功徳が近くなった。お礼に良い縁談を差し上げましょう」と話したという。それを聞いて宿を借りた女は、昨日これこれの様子を見て気になって宿を借りたものの言い出せずにいたけれども、不思議でおそろしいことだと一部始終を話し、二人はこれが縁で知人となる。蛇のおかげか、宮仕えの女はその後良縁にめぐりあって幸せに暮らしたという。
私がこの話を読んで感じたのは、蛇憑きの女は何か不思議な魅力のある人だったのだろうなということだった。蛇に気づいた女は不思議がって女を尾行するけれども、嘘までついて家に泊まるのは度が過ぎている。蛇とあんまり変わらないではないか。だけど自分の体験を振り返ってみても、なんとも言葉にできないのだが特別な感じがして親切にしたくなる女性というのは時々いるものだ。宮仕えの女のイメージは大人になって落ち着きを身に着けたダンジョン飯のファリン。知的で優しいけれどどこかのんびりして他人のリズムに与しないようなところのある人ではないかと想像した。この短い展開で、しかもほとんどが後ろ姿として描写されるにもかかわらず、鮮明な印象を惹き起こすのがこの話の面白いところだ。