某選挙の投票に行って、ららぽーとへ行った(だいたい住んでる地域が分かりそうな書き出し)
公開する日記って、書けば書くほど、自ら個人情報を喜んで世界中に提供しているようなものですよね。もし自分が犯罪者とかになって有名になったら、ツイートも日記も過去の分を漁られまくって、だいたいのプロファイルが出来てしまう。でも、他人にプロファイルがばれたところで何なんだろうという気もする。インターネットには恐る恐る出すべき情報、隠す情報を選別しているというのに、たとえば就職なりした瞬間には、口座から何から全て当然のように差し出す。世界に発信するのと一組織に出すのでは意味が違うといえばそうなのだが、見に来ても数人しか居ないブログと、何人の目に回されるかも分からない、たいして親しくもない他人に個人情報丸裸にされるのとじゃ、むしろ後者のほうが危険度上なんじゃないかとか思わなくもない。(まぁこれも、物理的な裸になることにさえ鈍感な男性という分類に属しているからこそ言えることかもしれない)
そういえば、ららぽーとで物欲を満たした際も(わりと理想的なアウターが買えました)、その店のアプリ登録をすれば10%引きというエサに釣られて個人情報を差し出した。服は高い。高ければ高いほど、10%はでかい。それに比べたら自分の情報なんて…という気になってしまう。自分の身を守る服と引き換えに、自分の情報セキュリティが10%削られる、そんな感覚がなくもない。
選挙のやり方って、僕が投票権を得てから知る限り何一つ変わってないけど、あれもセキュリティという面では堅牢なんだろうなとも思う。投票する側としては、あんな中で不正を働くなんてどうやったらいいか分からないもんな。立会人の人たちめっちゃ楽しそうに世間話してたけど。
しかし投票率は驚くほど低かった。かなしいほどに。もし、「投票はスマホで簡単にできます!」となったら、投票率はどれだけ上がるのだろうかと考えてしまう。だが、そんなことの実現は、AIに多くの仕事が奪われた後になってもこの国ではあり得ないのだろう。
我々は一体、どれだけのものを差し出し、はたしてそれに見合うだけのものを享受しているのだろうか。住民税を払いながら、未来を選択しないというのは、何を差し出し、何を受け取るという行為に当てはまるのだろうか?