ゲームの野郎がよ(ピクミンはかわいい)

はいファイ
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公開:2023/11/27

ピクミン4を始めました!今日はピクミン4をずっとやってました!

日記としては以上です。別にここでゲームの内容とかレビューとかをしたいとか別に思ってないので、ゲームの中で色々起こったり、色々考えたり、楽しんだり苦しんだりしているわけだけど、それをいちいち日記の中で書き留めたりする気はない。そもそも、ゲームという物自体に愛憎相半ばする気持ちを常に持っている。

ゲームは楽しい。けど、ゲームは時間が取られすぎる。6000円から高くても1万弱で、その気になれば何百時間と遊ばせようという仕掛けが盛り込まれている。それは、ゲームが娯楽の中で一番好きです、と言える人にとってはコスパの良い幸せな状態なのかもしれないが、ゲームよりもっと楽しみたいこと色々あるんですが…という場合、しかし買った以上隅々まで遊びたい、などという変に潔癖主義のある人間にとっては、地獄のような状況を招く。いや…地獄は言いすぎだ、結局ゲームをしてる時はそこそこ幸せなんだから。

ゲームをしているときの脳状態って、やっぱり他に代替できないものがある。映画とも音楽とも違う、頭で考えたことと手で動かしたことがインタラクティブに目の前の状況と展開を変えていくということ、それを繰り返すことで自我を失っていく感覚。これも一種のトランス状態だと思う。そして頭がぼんやりしていく。ゲーム内では必死に頭を動かしているつもりでも、終わった後は頭の一部に大きな虚無が広がっている。

映画や本などを見終わった後は、ものにもよるけど、心がほくほくと満たされたり、何か自分の人生にとって大事なものを発見して持ち帰ってきたような気持ちになれることがある。しかし、ゲームは…そんなことは稀だ。ゲームは、終わった後の充実感ではなく、プレイ中の没入感や、反射的な快感が、自分にとっては全てといえる。

でも結局、それら没入感や快感も、ゲームでしか味わえないものだから、やってしまうのだ。だからそう、別にゲームの全てを否定したいわけじゃない、悦びのベクトルが違うんだから…ただ…ただ、あまりにも時間が取られすぎなんだ。脳の違う場所を使う、違った類の脳汁が出る、それはそれでよいとして、しかし、「時間」という同じリソースを使ってしまうのだ!なんということだろう。

ゲームに「ボリューム」があることって、本当に良いことなんですかね?それってサステナブルなんですかね?

ピクミン、「ダンドリ(段取り)」をよく考えることをゲーム内で何度も説かれるんですが、生活にとっての優先順位を忘却してピクミンをしているという壮大な矛盾がそびえ立っていて、この壁は何色のピクミンなら壊せるんですかね。まずは自分の人生の持続可能性を高めていきたいと思いました。