10日以上日記を書かないでいたら、その間に生活がほんの少し変わってきた(あるいは変わろうと考えた)。その都度ここに書き留めたりしてみたいという気持ちはあるが、何かが変わること、それだけで頭のリソースをかなり取られてしまう。一度頭のリソースを何かの重い処理に使われると、その対象となる事項や現象が終わっても、その後頭の中の自由に使えるメモリとして解放されて平常状態に戻るまでに相応の時間がかかる。例えば映画などを観終わった後は、しばらくぼんやりとしてしまう。一つのソフトを落としても、すぐに軽くならないポンコツPC。切り替えに毎回時間が必要なので、頭が落ち着いた状態がしばらく続かないと、こういう日記は書けないのだ。
まず、スマートウォッチデビューをした。cmf watch proというやつだ。スマートウォッチにはそもそもあまり興味を持ってなかったのだが、Nothingというカッチョイイスマホを作っている会社が出したこのスマートウォッチのデザインは、発表された時から気になっていた。しかも安い(Apple Watchなどと比べれば)。もともと腕時計に特段こだわりがあるわけでもないし、世のスーツ族の男性は腕時計の値段で地位を測られる、みたいな言説とは無縁の世界でしか生きてこなかったのだが、ただなんとなく、出かける時に左腕を拘束するものがほしいという習慣はあった。G-SHOCKでもチープカシオでもなんでもいい。腕時計を身につけることで、今から出かけるんだぞと、身体に緊張感を与えるための合図のような役割を感じていた。このcmfは、まずたくさん用意されたフェイスの幾何学的とも言えるデザインがとても好みだった。というかそれだけだった。スマートウォッチを欲しいと思ったことがなかったので、スマートウォッチで何が出来るのかさえよく分かっていなかった。
このcmfを数日装着してみてスマートウォッチについて分かったことは、まず時間を見るだけなら常時表示にしない限りは普通の時計のほうが良いということ。そしてLINEなどの通知が見れるのは時と場合によっては便利ということ。ランニングやジムなどのワークアウトをやられている方にはきっと便利なんだろうなということ(その機能がスマートウォッチの目的の半分くらいあるんだろう)。あとは、音楽やカメラのシャッター操作も一応できるけど、まぁあんま使わんだろうなということ。値段もあって、おそらくスマートウォッチとしての機能はたいしたことなさそうなので(他のを使ったことないので比較できないが)、通知項目を細かく設定したりアプリを追加したりはできないし、これでピッと改札を通ることも出来ない。なので、スマートウォッチを使ってみたいというほうが目的として強い人がいたら、この製品及びこの文章は無駄だと思う。でも、佇まいとフェイスデザインはとにかく好き。アクセサリーとして一番重要な「つけててテンションが上がる」だけは満たしてくれる(個人的には、おそらくApple Watchよりも)。あと、他のどんな高級時計でも得られない「SF感」が得られる。これまでも十分身体化されていると思っていたスマホだが、その機能が部分的に身体に巻きつけられることで、いよいよ肉体がクラウド化してきたような感覚があった。見た目については個人の好き嫌いがあるだろうけど、スマートウォッチについては現代的な身体感が「ちょっと楽しいよ」という具合でおすすめしたい気分になっている。
さて、いよいよ、電子ピアノが届いた。こんなに早く来るとは思っていなかったので、心の受け入れ準備が整う前に届いてしまった。届いてしまったからにはしょうがない、部屋の隅で圧を放ちながらも放置させることもできないので、ずぶの素人として練習を始めている。独学として、ピアノ学習サービス「Flowkey」というのを使ってみている。譜面台にiPadを置いて、キーボードとUSBで接続し、自身のタッチをアプリで認識されながら、まずは初心者コースから、少しずつ練習曲をこなしていく。動画としてお手本の運指は表示されるし、正しい鍵盤が押されるまで待ってくれる。やり直したければ指で譜面をスライドすればいいし、曲もたくさん用意されている(ゼルダの曲がたくさん入ってて笑った、あとなぜかUNDERTALEも豊富)。Aphex TwinのAvril 14thまで入っていて、絶対弾けるようになりたい曲が増えてしまった。便利なものがある時代だ。
そしてそんな便利なものがあっても、人間の身体と脳は簡単には変わらない。指が動かない。音階と指が一致しない。音符と指が一致できない。さっきできたことが次にはまたできなくなっている。両手で別々の動きをするなんて人間には無理なのでは。何度も自身に苛立ちながらなんとかミスタッチを極力少なく数小節弾き切れた時には、すでに頭がパンパンという感じ。脳みその今まで使っていなかった部分をいきなり稼働させている。大変ではあるがしかし、この脳が新しい操作に戸惑っている感じ、そういえば新しいゲームをやり始めるときの感覚と似ている。オープンワールドアクションゲームは、コントローラーのボタンをすべて使ってそれでも足りなくて様々な組み合わせなどの複雑な操作を要求される。最初は戸惑い、間違い、初日は疲れ果てるのだが、いつの間にかやりたい動作に対して手が自然と動くようになっている。だが一つのゲームをクリアして別のゲームへ移ると、またイチから覚え直しだ(ものによっては似通っているところもあるので、応用が効くところもある)。楽器の演奏もこれなのでは?これだといいな!という気持ちで、ゲームを成功体験として信じ込みながら、いつか自然と手が動く日が来ることを願って練習に励みたい所存。そしてその練習をいつでも始められるように、スタンドも買って、部屋も片付け、生活を整えたい所存・・・所存。
というわけで、身体感覚の拡張、及び、脳の作動範囲の拡大を感じる日々だったので、それらに脳のRAMを支配されていて、いまいちインターネットを上手く乗りこなせないような日々が続いておりました。インターネットから離れても大丈夫と言えるほど、がらっと生活スタイルが変わるような日は来るのでしょうか…(スマートウォッチなんて付けていたらむしろよりインターネット化しているのでは…?しかし例えば運動を始められたりすれば…それは離れたと自分的には言えるはず…私にとってのインターネットとは……?)