寒・自由・風

はいファイ
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日付が変わる前に日記を書きたい。それなのに、だいたいいつも22時とかにご飯を食べて、そのあと腹ごなしにゲームをしたりしてしまうので、結果的に日付が変わってからしずかなインターネットに打ち込んでいる。これまでの日記の日付は、だいたい一日前の内容を書いていると思っていただければ。ところで腹ごなしにゲームってなんだ?

さて、冬ですね。東京にもいよいよ冬の空気がやってきました。めちゃくちゃ寒い。ドアを開けて凍てついた空気を浴びた瞬間、人類は思い出しました。冬が存在したことを。月曜と火曜はだいたいリモートワークしているので、外に出たのはお昼を食べに行く時なのだけど、こうなるともう近所にしか行けない。近くにある中華屋かラーメン屋に飛び込む。家を出てすぐ温かいものが食べられる。それだけで、味がたいしたことなかろうが一気にポテンシャルが上がる季節。空腹時に外に出るとめっちゃ寒いって思うのに、満腹になったあと外に出ると、ずいぶん気温上がったなって思うよね。人間の体の変化のダイナミックさに日々驚いています。

・自由

なんてことない、普段から思ってるふんわりしたことだけど、全ての基点にはこれがあるんだなあと思った。最近、知り合いからも自分について「自由さがある」と言われたことがあった。捉えようによっては褒めてるのか皮肉を言われてるのかみたいな多面性があるが、たとえ嫌味だったとしても喜んで受け止めよう。自由は何よりも得難いものです。

とはいえ立場的には普通のサラリーマンだし、自分が特別自由な生き方をしているとは思っていない。ユルい職場環境のおかげでユルく生きられているだけだし、ユルくない環境では生きられない。社会的強者として自由を行使できるわけではなく、小市民として細々と生きながら、頭の中では自由に散発的に動き回るということが、生き方として染み付いたという感じだ。

たとえば、このしずかなインターネットの白い画面と向き合って(ムードはいい機能だと思うけど全然使ってない)何かを書き始めている今だって自由だし、その記事を業務時間中に書いたりするのも自由を感じる(感じるじゃない。怒られる)。

2024年のキーワードにしていこうかな。世界中の人々が、自由を得られる日を願って。

吉村弘

さっきNHKで「おげんさんのサブスク堂」を見た。いつも楽しみにしている番組なのだが、さらに今回はラストで日本の80年代からの環境音楽家であり昨今の再評価著しい故・吉村弘の音楽を、星野源・松重豊の2人が鑑賞するという素晴らしい時間があった。

このお二人、とくに星野源は、本当に言葉の選び方が上手いなと思う。気を使いながらも、本質からさらに一歩踏み込んだようなコメントをさらっと、必要な言葉数で述べる。音楽家としても邦楽の中でも希少なポジションとして国内・海外とのハブになるようなコネクションがあるし。「立派」な人だな~~って思います。『恋』が流行った頃は音楽的にはピンときてなかったけど、最近の曲はどれもカッコいいと思うし(あと、最近になってファーストアルバム『ばかのうた』を聴いたんだけどすごくよかった)。

そんで今、しずかなインターネットの下書き記事に、2023年に行ったライブと展示の振り返りを書いていて、ちょうど鎌倉でやっていた吉村弘の展示について書いているところだったのだ。期せずして頭の中がシンクロして、みずみずしいシンセの音が風と共にそよいだ。こうやって頭の中を自由にして風通しをよくしていきたいですね。家の中は風通せないので(寒いので)。