グッと来る日記 ~音楽・写真

はいファイ
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日記、何かこれについて書こうと思った時に、メモかなんかでもしておかないと、やっぱりいざ書く時間になったときには思い出すことができない。ツイートもそうだけど。でも、なんかおかしくないか。日記だぞこれ。今日あったことを思い出して書けばいいだけじゃないか。なんでその日のことの列挙だけにとどまらず、「書きたいこと」を書こうとしてるんだ。ネタ的ブログでもエッセイでもないんだぞ。

やっぱり、こういう場所で、思ったことをつらつら書くっていうことをどこかで求めてたのかもしれない。日記という体にしてるのは、特に書くことがなくても書き続けるというのが第一目標だからかもしれないし、これといって面白いことが書けなくても許してくれという逃げの姿勢の現れかもしれない。なんで日記で逃げてるんだ。攻めていこうぜ、日記で。

ところで。今、年間ベストアルバム(AOTY)をまとめていて。しずかなインターネットで。

昨年までは12月後半に画像だけでツイッターにアップしていたのだが、なんとなくめんどくさい感じがして今年はいいかなと思っていたのだけど、しずかなインターネットで書くことが楽しくなってきてしまい、それならと、年ベスのアルバムそれぞれに簡単なコメントを添えながら紹介する記事を書き始めてしまった。去年までよりもカロリーが高い。こんなはずでは。

特にピックアップする枚数は決めずに書き始めてしまっているのだが、一応エントリーする前にそのアルバムをもう一度ちゃんと聞くということをしてみる。そうすると、候補に上げてたけど取り下げたり、候補外だったものをやっぱり入れたり、ということが起こる。この時、自分の中では何が起こっているのだろう、どういう基準を設けているのだろうと自分で思う。言語化は今までできていなかったが、何かしらの水準がきっとある。作り手でも批評家でもないくせに、水準とかいう評価軸で音楽を聞くこと自体が、なんか申し訳ない気持ちになりつつ。そんなこと気にしすぎたら、年ベスなんてできないけど。

どれだけ「グッと来た」か、が全てといえばそう。これ以上言葉にするのは難しい。それはほとんど味の好みみたいなもので、もしかしたらアルバムのクオリティとかいう問題ではなく、好きな音が使われてた、なんとなく気合を感じたから、という理由でグッときてるだけかもしれない。

だから、「ベスト」なんて言葉を使うのがよくないのかもしれない。まるでランキングがあるみたいな言葉だ。グッと来たアルバムリスト、とかにしたほうがいいかもしれない。

そんな感じのことを考えなら音楽を聴いてました、最近。

あと、ツイッターで知った原田和馬さんという作家さんの写真集を買った。

写真を撮って加工する、という行為に昔からグッと来る。加工といっても、しっかり写真やってますというクラスタの人たちにとっては、RAWで撮ったデータにLookを与えていくことを加工(現像?)と指すかも知れないけれど、そうではなく、誰が見ても明らかなエフェクト、コラージュ、カットアンドペースト、ゆがみ、変形のことである。そうやって、現実から拝借した風景を、非現実的二次元世界に変質させる、「現実だったもの」が、作家の中で「現実には見えぬ真実」に変換されてしまう、その過程と出力に興味がある、という感じがある。

写真というのは、それだけで既に現実世界からの冷めた距離感があると思う。それは、普通なら視界に入っても気にしないような細部について、フォーカスすることで異常に執着を抱いてしまうこととも繋がる。まるで部屋の中のリンゴが巨大化するような目線が込められており、写真自体にシュルレアリスムの効果がもともと備わっているとも言える。加工は、さらにその要素を推し進める。ブーストさせ強調させるが、写真それ自体の超現実さはそのままでありたい。だから、絵ではなく写真である必要があるというか。

グッと来る音楽、グッと来る写真、それらの水準を測り、それらを引き上げていくような指向性に、夢中になりやすい。無理やり今日の日記をまとめるとそういうことでしょうか。まとめる必要なんてないのに。日記なんだから。あるいは日記であることを諦めるか・・・