オープンワールドゲームのこと

はいファイ
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先々週あたりからPS5で『ホグワーツ・レガシー』を始めていますが、なんで始めてしまったんでしょう。こういうゲーム、始めたらエンディングを見るまで終われないし、ボリュームは重厚長大だし、寝る間を惜しんで…とまでは言わないまでも(寝る間はゲームに限らず常に惜しんでいるので)、他のやりたいことを差し置いて最優先にやってしまう。やってしまうのになかなか終わらない。このゲームのプレイ期間中はカレンダー上で帯を引いて予定が埋まっているような状態になってしまう。本当に残念だ。始めてしまったらもう自分の意思で抜け出すことは不可能なのに・・・。

こういうゲーム、というのは、オープンワールド系と言われるアクションRPGのことです。こういったオープンワールドのゲームをやりたくてPS4、PS5を買いました。Switchではスペック的にも苦しいだろう、綺麗なグラフィックや広大なフィールドを表現することが大事なゲーム。

もともとRPGには苦手意識があって、マリオとかのアクションゲームが好きだった少年の時からずっと、自分は「RPGはやらない」と宣言していたのですが、どうやらターン制のコマンド型バトルが嫌いというかあまり面白いと感じられないだけで、ストーリーを追ったり文章を読むのはむしろ好きというか、隅々までテキストを把握しないと気がすまないくらいの素質でした(未だに装備とか考えるのはめんどくさいと思うけど)。コマンド型で面白くやれたのはマリオRPGとMOTHER2くらいで、それ以外のドラクエやファイナルファンタジー、ポケモンといった有名RPGは一切手をつけないまま来てしまった。その苦手さがバトルに起因するのだということを、ゼルダの伝説時のオカリナにめちゃくちゃハマった時に認識したのだった。

そして時は流れてSwitch時代、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドで、初めてオープンワールドゲームというものに触れ、感激した。こんな冒険のワクワク感があっていいのかと。未知の場所に訪れるドキドキ、気になるものがある方へと自由気ままに散策して、それに応え続けてくれるフィールド。目に見えるほとんどのところへ行ける喜び、散りばめられたタスクをこなす気持ちよさ、この世界と一体となって空気を存分に浴びるような没入感。クリアした頃には、もっとこういうタイプのゲームをやらなければいけない、この幸福な時間を定期的に生活の中に用意しなくてはならない、というような欲求が自分の中に生まれてしまったのだった。

それまでゲームと言えば任天堂だった自分が、PS4に手を伸ばすきっかけとなったのがもう一つが、『Marvel's Spider-Man』だ。Twitterで流れてきた、縦横無尽にマンハッタンの高層ビル街を飛び回るスパイダーマン。それが映画ではなく自分で操作できるという。NYのマンハッタン島をまるごと自由なオープンワールドフィールドとして。これこそハイスペックなマシンでしか出来ない、そして誰もが憧れた最高の疑似体験だと思った。スパイダーマン自体には、映画2本くらい見たっけかな?程度しか思い入れもなかったのに。ゼルダは面白いけど、中世ファンタジー的な世界観より、俺は現代の都市を舞台にした世界が見たかったんだ。

その後、PS5も含めプレイしたオープンワールドゲームを振り返ると…(DLC含む場合はそれも付記)

『Horizon Zero Dawn(DLC)』『Horizon Forbidden West』『Outer Wilds(DLC)(一応オープンワールド?)』『DEATH STRANDING』『GHOST OF TSUSHIMA(DLC)』『Ghost Wire: Tokyo』『Cyberpunk 2077(DLC)』『Marvel's Spider-Man: Miles Morales』『ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム』そして・・・『ELDEN RING』・・・

書き出してみると、まだこんなもんかとも思う。ゲーマーからしたらもっとあれやこれや、重要なオープンワールドゲームをやってないだろう。この中で、なぜ最後にエルデンリングを余韻を持って置いたかと言うと、挫折したからだ。他のゲームで自信をつけたつもりだったし、その当時ゲーム・オブ・ザ・イヤーで多くの人が挙げていたから、フロムゲーってなんか難しいらしいけどまぁなんとかいけるだろと思ってしまったのだ。舐めていたのだ。フロムゲーを。エルデンリング以外はクリアしたのだが…いつか再挑戦する日は来るだろうか…。

さて、それぞれのゲームについて語りだしたらきりがないが、だいたいオープンワールド系って「型」があるよねというのが分かってきて、その型から飛び出した驚きがないと「面白い」の域も出ないなというのも分かってきた。やった中でおおまかに分けると、Horizonシリーズ、Spider-Manシリーズ、GHOST OF TSUSHIMA、Ghost Wire: Tokyo、そして今やってるホグワーツ・レガシーも、だいたい同じ「型」を使って、だいたい予想できるシステムの中で動いてるなと思う。

逆に、オープンワールドという土壌は共通しつつも、オリジナルな体験として強く記憶に残って、他では味わえない新鮮さと驚きがあったゲームとして、ゼルダはもちろん、Cyberpunk 2077、DEATH STRANDING、Outer Wildsを挙げたいと思う。全部素晴らしい体験だった。ゲームとしてやっていて面白いという以上に、終わった後もずっと心に、記憶に残るような体験。自分はあの時あの世界に居て、冒険をやりきったのだという疑似体験記憶。そういうものが強烈に残る作品だった。

それぞれについて語ることはもうこの記事ではやらない・・・ただ、ゼルダを除いて(なぜならこの素晴らしさはもう語り尽くされているとも思うので)、他の三作のうち人に勧めるなら、Cyberpunk 2077になる。デスストは、配達という特殊なゲーム性や恐怖的な演出という面で万人受けではない気がするし(しかし予想のつかない物語や世界観は唯一無二で忘れられない)、Outer Wildsは宇宙全体が一つの謎解きと言える中である種の根気強さを求められるし(しかし全てがつながった時の衝撃とゲームと言うより純SF的な体験は他のAAA級ゲーム、いやハードSF小説にさえ匹敵する)。サイバーパンク2077は、オープンワールドど真ん中の「型」のセオリーに忠実ではあるのに、少しずつ工夫されて絡まりあった物語と世界構築の妙に大変魅了された。ハードボイルドで飽きさせないテキストとクエストで、緻密に作られたサイバーパンクジャングルの中で必殺仕事人をこなすのが楽しすぎて、ゼルダの伝説ブレワイ以来、もう一度ハードモードで2周目をやりきったゲームとしてはこれだけだった。2周目でもめっちゃ楽しかった。

オープンワールドゲームって(というかRPGか?)、基本的に2周目は出来ないと言うか、知らない場所に踏み出す時のワクワク感が面白さの半分くらいを担っている気がするので、もう頭の中では分かってるはずなのに2周目をやりたくなるほどハマるというのは相当だなと自分でも思う。というかそもそも、ゲームを何周もするというのが、昔の感覚なのかもしれない。ROMの容量がそこまでなく、家で楽しめる他の娯楽も少ないような時代の。未だに自分は、インターネットも知らず、スーパーマリオRPGを何度もクリアした時のような、もともと小さい現実世界の、さらに小さな箱庭を何周もするような孤独な幸福を、どこかで求めているのかもしれない。

ホグワーツ・レガシーはそうなるか?というと、残念ながらそこまでの体験には至らなそうだ。面白いけど。面白いけど思った以上にボリュームがすごい。やっと後半かなという感じになってきた。というかこれ、ハリー・ポッターに釣られて初めた子供とかはクリアできるのか?というくらい、「型」ガチガチの要素乗せまくりの骨太ゲームですわよ。。

なんてことを下書きに書いたまま、今まで公開できずに、すっかり日記も間が空いてしまった。その理由は、すなわちこの日記が存在している理由そのものである。