眠い。眠いのに日記を書いている。いや書けないかも、途中で寝落ちするかもしれない。それでも、日記を書く以外に他にやれることがない、眠くても書ける日記にしていきたい。
しかも日記とか言いながら、書こうとしているのは昨日のことだ。昨日は、仕事を午後休んで、お昼寝してから、新宿は大久保駅のすぐ近くにある「ウェスレアン・ホーリネス教団 淀橋教会」というところに行った。そこでアンビエントのライブが催されていたのだ。
Laurel Haloという、電子音楽を聴く界隈ではちょっとしたヒーローと言うか、カリスマというか、とにかく器用でありながら掴みどころがない、ミステリアスであり神秘的であり、実にドープで、しかし言葉にし難いエモーショナルを表現している女性アーティストがいる。音楽としては相当にエクスペリメンタルだと思うのだが、そこに教会でのパフォーマンスという祈りの空間が舞台になることで、人間の深奥からあの世までを表現し新たな次元を垣間見させるような、凄まじい集団体験をものにしていた。
他に出演した二組もとてもよかったのだが、今は振り返る体力がないので割愛させていただきます。。
というか、後日になってこうやって振り返ってレポートや感想を書くというのがうまくできない。上のようなツイートをしている時点で、ライブレポートをどちらかといえば言葉にしたくなってしまう方だとは思うのだが、それも、その体験直後にしか本気では出来ないというか。なんならライブを聴いている最中にそういった言葉が浮かんできて、その場でメモをしたくなるくらいなのだが、さすがにステージから目を離したくないし、音に集中することが何より第一だし、明るくて俗っぽいスマホの画面なんて開きたくない。なので、ライブが終わった後すぐ、帰りの電車、いや可能なら会場を出るまでの間に、その熱量と震える胸、指先で感想を綴ってしまいたい。別に後日でも同じようなことは、むしろ冷静に分かりやすく書くことができるかもしれないし、その熱量がないと劣る、とも思ってはいない。単純に、書くということがだんだん億劫になってくる。記憶を掘り起こして頭の中でシミュレーションすることは、すべて「再現」でしかない。時間が経てば経つほど、その再現には多くのメモリが必要になる感じがある。
メモリが少なくて済む間に、思いついた言葉をどこかに残しておかないと、この時の感動も、連想した言葉も、そのまま葬られてしまうというような、そういった焦りに似たものが、そうさせている。
今もそのような焦りの中で、眠い目をこすってこうして日記を書いています。なぜ?そういう性質だ、としか言いようがないですね。
そんなわけで今日は、仕事をしながら、Laurel Haloの過去作をひたすら聴いてました。言葉はいらない。音楽は言葉に表せないもののためにあるのだ、ということを最近ひしひしと感じる。音楽が分かれば分かるほど、何も言えなくなる、ということでしょうか。