うるさい飲み会から、しずかなインターネットへ…

はいファイ
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公開:2023/12/8

日記ではなく二日記くらいになってる。まぁそれくらいがちょうどいいかもしれない。しずかなインターネッツだしね。

今日は職場で、ランチスペースを利用したちょっとした立ち飲み交流会みたいなものがありました。あったみたいです。あることは知ってたけど知らないふりをしていました。僕の会社はもう僕のキャパシティを遥かにオーバーした従業員数になってしまったので、最近はすみっコでしずかにしていることしかできません。

という異様に卑下したことを書きたいわけではないんだけど、そもそもやっぱり自分は、こういう飲みの場というのは苦手も苦手だなぁということを、こうしてしずかな場所で一人で書きたくなってしまう。

まず人が多くて、みんなが色んなところで喋っている。そうすると簡単な会話ですら、いつもより大きい声で話さないといけない。相手の声もいつもよりしっかり聞き取らなきゃいけない。次に何を話そうか考えることを、他の声がたくさん聞こえる中でしなきゃいけない。それでいて楽しそうにしていなければいけない。ちょっとオーバーなリアクションとかしてみたほうがいい気がする。大抵そんな状態の中で、親密な会話や難しい題材、深刻な相談なんて起こりようがない。賑やかな場というのは、まるでみんな自由にしているかのようで、実はかなり固定化したテーマとコンセプトの中で限られたロールプレイに興じるだけの場なのではないか。いつもとちょっと違うテンションの高い自分がそこに居たとして、そのことを恥ずかしく思ってる自分が外側から見ている。あ~あ、場に流されちゃって…頑張っちゃって…という目線を感じる。それでいて、いざ話すことがなくなったり、話してた人がいなくなったりすると、どんな顔をしたらいいか分からないまま目線を泳がしたりうろうろしたりする。この時の所在なさ。その上、それが自分だけならまだしも、似たような状態に陥ってる人が目の端にもちらちら見える。おそろしい。あまりにもつらい。どこにも自由がない、ここには縄張りと同族意識とこぼれ落ちないようにする競争意識しかないんだ・・・

あまりにも陰キャな思考迷路日記ができてしまった。でも分かってる、みんなそういう気持ちを持ちつつも、それでもこの場が大事であること、親睦を深めるという目的のためにロールプレイすることさえも必要であること、なんてことない飲み会が、仕事も楽に進めるためには抽象的に役に立っていること。もう大人だから、いつまでもそんな若者みたいな繊細さをドヤりたいわけじゃないんだ。でも、それでも、その目的があるとしても、だからってこんなうるさい場所が中継地点として必要なんでしょうか、という懐疑の目線は、すみっコで座っているもう一人の自分からいつまでも投げかけられている。

しずかなインターネット、僕はここを中継地点としながら生きていくよ。