三分割された紅白、平穏なる世界を願って

はいファイ
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沖縄から東京に帰ってきました。2024年の目標はしずかなインターネットを続けることだ。

沖縄での、奥さん実家での年末年始は、それはまぁいろいろありました、ここまでいろいろあって、ここまで予定通りにいかない感じになる時もなかったような感じです。

まず、紅白歌合戦を、3回に分けて見ることになった。僕はわりと紅白歌合戦を楽しみにしているほうで、楽しみな歌手がいるというよりも、NHKがどんな演出や組み合わせの妙でお祭りを構成しているかを見るのが楽しみなのだ。アーティスト単位で言えば興味ない時間はたくさんあるのだが、演出的な見方をしてしまうとどこも見逃せないということになってしまう。だから、いつも始まる前からテレビの前で全裸待機をしているのだけど。

この日は大晦日当日になって、急遽、親戚の家に行かなくてはいけないということになった。序盤から天童よしみまで見たところで家を出て、親戚の家で酒を飲まされつつ、結果的に家に戻ってきた時にはMISIAが唄っていた(つまり大トリ)。子供の時から、大晦日は年越しそばを食べて紅白を見て過ごす、というごく一般的な過ごし方をしてきたので、ここまで紅白をスルーして年明けになだれ込んでしまった大晦日は初めてかもしれない。

元旦。ゆっくり起きてお雑煮をいただき、夕方また親戚の家に行く予定だが、それまでの間に昨日の紅白の続きを見よう、と、見逃し配信のNHK+で見ている途中、スマホに地震があった旨の速報が目に入る。「え……震度…7…?」と動揺している間に、星野源の歌っている映像が途中で止まる。重くなったのかと思いきや、さすがNHK、NHK+でさえも緊急報道に切り替わるような仕組みになっていたのだ。ほう~、などと感心したのも束の間、地震の大きさ、まだ全容は見えないが想像される被害の大きさ、SNSで流れてくる被害報告や動画に、すっかり気持ちを奪われていく。元旦からとんでもないことが起こってしまった。家でいつも通りのゆっくりした元日を過ごしていたはずの人々に、突如襲いかかった災難を想像すると、とても苦しい。

その後、予定通り親戚の家へ。そこでは子どもたちが沢山集まっており、マリオカート8DXなどに興じていたので、大人げない大人役として1グランプリ参戦し、現実の厳しさを教えてやることに。「タヌキマリオやばい」をいただく(マリカーではタヌキマリオを使っている)。ロケットスタートもドリフトも知らない様子だったので、軽く教えつつ、今だったらYouTubeでもなんでも上手くなる指南が転がってるだろうに、どうやらそこまで調べてはいないようだなと、そのご家庭の教育方針や環境を少し垣間見たりなどする。そんな楽しい雰囲気のひと時を過ごしている時も、テレビをゲームから地上波に変えると、TSUNAMIにげて!の文字とともに被災状況を伝えるニュースが流れ続けている。いつも通りの正月を過ごしているかのようなこちら側と、いつもどおりの正月を、もしかしたら以降の生活もすべて奪われてしまった向こう側の姿。

その後、翌日も色々あり、気づけばテレビの中では羽田空港が燃えている…。地震の被災状況を常に伝えるL字型スーパーが出っぱなしの画面で、中心では激しく燃える飛行機の映像が映し出され、こんなカタストロフから新年が始まってしまってどうするんだという絶望的な気分になる。同時に、4日には沖縄から羽田に帰る予定なんだが…?とこちらも絶望感が漂う。

しかし、何もできない我々は、そんな気分を一旦払拭するためにも、昨日に星野源で強制中断されていた紅白を、やっと再開する。AdoもYOASOBIも早く見たかったのに。

YOASOBI『アイドル』のパフォーマンス、凄まじかったですね。アイドルだからアイドル寄せ集めりゃいいだろと、言うは易く行うは難しという発想を、いやあよくぞここまで持っていけたなと唸ってしまった。アイドルという存在自体に対する皮肉も込められたあけすけな歌詞、というかどちらかというとファン側からの目線でもある内容を、実際のアイドルたちが歌って踊る。それはもはや挑発のようにも取れる構図なのに、情報量の暴力でお祭りに仕立て上げてしまった。ツイートで、「そういうメタ目線さえ、今は織り込み済みの上でファンやってるのでは」と言及している人がいて、アイドルという文化一つとってもどんどんハイ(メタ?)コンテクスト化しているなと思うし、それを意識的か天然的か、ボカロ出身だからこその距離感でテーマ化して見せる。そこには「推しの子」という物語の語り口も絡んでくるわけで、実に立体的で現代的な舞台がここに立ち上がってきていたわけなんだなとなる。こんな演劇舞台が異様な迫力を持って突然やってくるから紅白を見ている。この番組にとっては「歌」のほうがオマケなんじゃないかという認識。「紅白・合戦」は言わずもがな。(でも、Adoはガチで「歌」だけとも言える)

そういうわけで、3分割された紅白を、やっと全部見ることができたのでした。

あとは、今回しょっちゅう一緒に過ごしていた、まだ生まれて半年の姪っ子に、ずっと「見たことない動物を見るような怪訝な目」で見つめられていたことが、重要なトピックと言えたかもしれません。きっと今後会う度にどんどん成長して、どんどん世界を見る解像度が上がっていき、そして言葉を覚えた暁には、あらゆるものが分節化していくのでしょう。そうなる前の、カオスに支配された世界認識の中で、なぜ、この時は俺のことをそんな目で見つめ続けていたのか。その答え合わせをいつかするその日の為に、ここに記しておくことにする。

カオスな世界に、平穏を願って。

自分の乗ってる飛行機の影に、虹の円がかかるブロッケン現象というものを見ることができました。

これは茶樓雨香という、最近Xでバズってる中国茶店での至福のひとときの写真。