欲求と葛藤とゲーム脳の日記

はいファイ
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日記を書く間隔が空いてきましたね?そもそもこれを日記と言いながら、下層意識では全然日記という位置づけではない何かとして書いている気がする。そう何か。日記としての役割というより、ただ何か書きたいという欲求のはけ口として。でもはけ口と言い切ってしまうのはなんか恥ずかしいし、欲求そのものをさらけ出すというのも不粋だ。だから、日記ということにしている。日記ならきっとみんな書いているから、自分だって許される、そういう何か擬態のような気持ちがある気がする。日記という自己表現をしろ!みたいなことを先日の日記で書いたばかりなのに、もうそれに対する自己反証みたいなことをし始めている。日記を書け、さもなくば、日記と言うな。

日記の間隔が空いた理由。それは新しいゲームを始めたから。シンプル!

PS5のスパイダーマン:Miles Morales というゲームを始めました。以前セールの時買ってダウンロードしておいたまま放置していたのですが、スプラトゥーン3のDLCが2/22に発売されることが発表されたので、まずい、リリースされたらそれに集中してしまうから、その前にやっておかなきゃ!という気になったのです。スプラトゥーン中心で生活が動きすぎている。

この日記ではとくにゲームのことをつらつら書きたいという欲求はないのですが(日記に対する欲求とは何なのか)、実はほぼ毎日コントローラーを触る時間がある。そしてそのことに若干嫌悪を覚えている。やめられるならやめたい。これこそまさに欲求の類だ。スマホゲームは一切やる気にならなくて、やるならテレビ画面で腰を据えてやりたい。でもやめたい。本当なんです。いや、ゲーム自体は楽しいことは分かってるんだけど、それによって奪われる時間がつらい。その時間を使って、本を読んだり音楽を聴いたり映像作品を観たり、こうやって日記(日記です!)を書いたり、何かそういう、想像をはたらかせるような、残るような、そういう何かの為に時間を使いたい。それなのに、一度ゲームをしている時の脳の状態(ゲーム脳!)を知ってしまうと、あの安らぎと、刺激を、脳が再び求めてしまう。刺激とリラックスが一体となって没入できる状態。たとえば、音楽を聴きながらインターネットをしている時もそれに近くはあるんだけど、やはりゲーム特有のインタラクティブな、脳と手と画面の世界が繋がったような没入感と、瞬発的な反応や演出というものの刺激の強さは桁違いだ。

僕はほぼそういった、瞬発的なインタラクティブ性をゲームに求めているので、アクション的なゲームしかしない(シミュレーションやコマンドバトル型RPGなどはやらない)のだが、今回始めたスパイダーマンもまた、そういったアクションを主体とした、オープンワールドゲームなのだ。オープンワールド。Switchのゼルダなどをやったことある方には分かるかと思いますが、広大なフィールドで、次から次へとあれやれこれやれとタスクが追加され散りばめられていく。そういうゲームをやり始めるとどうなるか?

日記が書けなくなるのだ!

というわけで、ゲームという強い欲求をなんとか理性で抑制して、日記という弱い欲求に、限られた時間というリソースを振り分け、残す。言葉を。生活を。人生を。なぜなら人生は有限だから・・・

・・・人生が有限なら、強い刺激を存分に浴びたほうがよくない・・・?

そうやってあらゆる場面で葛藤を抱えながら、明日も生きていく。日記も書け。ゲームもやれ。