日記という自己表現、聞けてないものを聞いていく

はいファイ
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なんだこりゃあ。仕事が忙しいぞ。いつもは仕事の合間にもTwitterやBlueskyから目を離さないことに定評のある私ですが、ある程度のタスクの量を越えるとモードが仕事に支配されてしまい、あまりネットに目移りしなくなる、いや見るんだけど、見ても何も思いつかなくなる。いつもは見るだけではなく何か書きたくなってしまう、そういう質だからこうやって日記なども衆目にさらしているのですが、仕事というのは人間の性質も変えてしまう。おそろしいですね。仕事って、どんなに適応できていて、そこにストレスがなかったとしても、ほとんどの場合「処理」の範疇を出ない。仕事と自己表現が結びついてる人ってどれだけ居るのだろうか。それとも普通の人は自己表現なんてものに特に重きを置いてないのでしょうか。

日記って、めっちゃ自己表現だよな。誰にでも出来る、今すぐできる、いま最もポピュラーでプリミティブな自己表現と言えるのではないか。たしかに幼い頃だったら、紙にぐちゃぐちゃと絵を描くことがもっとも最初かつ原始的な表現と言えるかも知れない。でも大きくなると、不思議と「絵は苦手」という自意識がどこかに芽生えてしまう人が多い。もちろん絵は得意と思いながら育ったならそれに越したことはないけど、得意なりにどんな絵を描くべきか、また自分よりさらに上手い人の絵を見て落ち込んだり、みたいな、まぁそれはただの自己表現から表現者へと進化するためには必要な過程なのだろうけど、逆に言うとただの自己表現のままにとどまり続けることは難しい分野だなとも思う。

日記も、まぁ文章表現に苦手意識がある人には難しいのかもしれないけど、それでも言葉を扱えるならば、やろうと思えば箇条書きでも記すことが出来る。書くことがなくても、今日何があって、何を食べた、ということは書ける。それは表現とは言えず記録かもしれない。でも、日々というのは全く同じ人は居らず、全く同じ日もない。記録を積み重ねるというのもまた一つの表現方法だと思うし、その厚みはその人そのものにもなる。自分を何かしらの媒体に移して外部化すること。それは気持ちいいことだし、その気持ちよさを感じるならそれはもう自己表現と言っていいんじゃないか。

特に日記は、本来は誰にも見せずに自分のために書き続ける、というのが一般的なものだし(皆さんのように日記を世界に公開しているのは異常なのです!)、その記録ってじゃあ何のため?となると、やはり自分のため、あるいは後世の身内のためか、となるし、それはやはりプリミティブな「自身を残すこと」への欲求と快感に繋がっているのではないかと思うのです。

そう、だから日記を書きましょう。表現は気持ちいいので。こんなにすぐ始められて、誰にでも必ずあるその日常がそのまま材料になるような自己表現は、日記しかないので。たぶん。

細野さんのラジオ(のアーカイブ)を聞いた

【Daisy Holiday! 細野晴臣 小山田圭吾さん 2023.3.12】https://youtu.be/zLCa3M-uL70?si=_Cc2n4xXGTymae1d

Daisy Holidayはさ、毎週聴くべきだなって思いました。細野晴臣のことこんなに大好きなんだから。こんなに良いゲストや良い音楽が流れるんだから。なにより細野さんの声が最高なんだから。声をこんなに堪能できるの、ラジオしかない。

自分の人生のなかでラジオ少年として生きた記憶がなく、ラジオが面白いものだという意識が体に染み付いていない。自分の周りには、趣味がラジオだったという人、伊集院光はよく聴いていたとか、この人のポッドキャストはよく聴くとか、そういう人は少なからず居たのだが、なんとなく自分は縁遠いまま。というか、多分音声情報だけで意味を処理するのが苦手なんだと思う。喋ることよりもこうやって書くことを選ぶこととか、お笑いは見てると疲れてくることとか、音楽は好きだけどインストゥルメンタルがメインなこととか。仕事で打ち合わせしてても正直相手の言ってることが入ってこない瞬間が断続的にある、web会議になってからなおのこと。

それでも、細野さんの声はまず何より心地よい。声のテクスチャだけでも唯一無二の価値がある。その上自分好みの音楽を作るし、選んでくれるのだから、これだけは聴いたほうがよさそうだ。むしろなんで聴いてなかったのか。教授も、幸宏もいなくなって、慌てて追いかけようとしているようで、なんか申し訳ない。聞いていきます。聴かせてください。

聞いてないものといえば…

Apple Music Classical が始まった。これを機に聴いていきたいぞとなっている。しずかなインターネットが始まったから日記を書けるようになったように、webサービスのお膳立てによって、やりたかったことが潜在的に浮かび上がってくる。

クラシック、これもまた全く掘れてないものの一つ。インストゥルメンタルが好きなのだから、聴けばいいのに。俺は電子音楽が好きだから、みたいな謎の言い訳をしながら、結局クラシックから逃げ回ったままここまで来てしまった。クラシックに触れた記憶としては、なんとなく昔ワゴンで投げ売りされてそうなモーツァルトのコンピを買ったり、勧められて春の祭典を聴いたり(確かにこれはカッコよかった。プログレ!)。あと、くるりが『ワルツを踊れ』を出した頃、岸田さんがクラシックにハマってロックを聴くような情熱さで頭を振り回しながら聴いているというのを聞いて、なるほどそれは楽しそうだと思って興味を持ちかけた(持ちかけただけで終わった)。

これもせっかくだから一日一枚とか、用意されたプレイリストを軽率に流してみたりとか、していきたいなと思った。おすすめあったら積極的に教えてください!でも、いわゆる入門編とかから聴こうとするとすぐ飽きる質です!(というか電子音楽を先に聞いてしまうと、ジョン・ケージやらシュトックハウゼンやらスティーブ・ライヒやらのほうが入門になってしまってクラシック観が歪む)

あと、クラシック、タイトルが覚えづらすぎるのでなんとかしてほしい。ハ短調とか、なんか番号とか、題名からして既に専門用語みたいでこわいです。助けて。