都知事選とコーネリアス

はいファイ
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公開:2024/7/8

2024年7月7日は、都知事選とコーネリアスでした。この並びが面白すぎるなと思って、そういう面白い日には日記を書いておきたい。

正午ごろには投票に行き、普段の選挙よりも来てる人の多さを実感。56人も立候補したという前代未聞(というかただバカげているだけの"選挙ハック"?)の知事選も、まぁ蓋を開けてみれば主に3人の党派性の中で自分のスタンスをどこに置くかを選ばせるものだったようだ。自民党寄りでこれまでの実績をよしとするか、立憲・共産との繋がりが濃い伝統的野党に期待するか、良くも悪くもな若さとしがらみのなさをネットの動画メディアを中心として「論破的」にアピールする人物か。こうやって表層的な立ち位置と振る舞いだけを見ると、普段から情報を追ってる人でもないと最後の人が一番マシなような気がするのもきっと無理はないのだろう。自分の中では石丸氏は蓮舫氏の半分くらいの票で3位になるんじゃないかという予想イメージがあったが、結果的にはなんと2位。この結果を読めなかったあたりやはり見えなくなっている。SNSといってもXやBlueskyという旧来のテキスト主体のものしか見ていない以上、若年層と見ているものが全く違うのだということをより痛烈に体感できてしまった。

結局というか、無党派層に一番ウケがよいのは「与党ではないが与党に近いところに居て、反対側から石を投げるのではなく与党の端の方から与党に何か言ってくれそうな人」なんだよなというイメージがある。あとは現状維持を重視するか、若さ、新鮮さを重視するか。ドラスティックな変革が起こることには不安がある、口うるさく批判してるイメージがある人たちと同じと思われたくない、公約はたいして達成できてないのは知ってるが、悪くないところもあるはずだからそこを認めつつ堅実に軌道調整してくれそうな人がいい、という心証が働いているのではないだろうか。そしてそれは、大阪維新の会を押し上げることに繋がった心理とも近いような気もする(大阪のことに詳しいわけではないので的外れかもしれないが)。

ほぼほぼ野党を応援する形でこれまでの選挙も投票してきた身として、さすがに選挙戦略自体を根本から見直さない限りは、あとは与党がとてつもない自爆でもしない限りは(というか今のこの日本の状況自体が自爆だと思うのだが)、今後も状況は覆らないだろうなという諦念のようなものを強く覚える選挙となった。だが同時に、ネットメディアの使い方次第ではここまで大きなムーブメントとして形にすることができるのだという、そういう面での希望はあったと言えるかも。

ついでにこの3ベクトルにもう一つ付け加えるとするなら、一部IT系界隈で話題になっていた安野氏も興味深い存在ではあった。政策、というよりはもはやAIソリューションのプレゼンテーションのような公約で、こちらも思っていたより得票していた様子。令和時代の空気を体現する新候補(新世代ポピュリズム?)として、石丸氏とは対を成す場所にマッピングできるかもしれない。


なんて辛気臭いことをたくさん書いてしまったが、頭の中は実にハッピーでクリーンな状態でもあった。なぜなら投票行った後はコーネリアスのライブを見てきたからさ!

コーネリアスが自分に与えた影響は計り知れない。どのくらいどのようなところで影響を受けたかを今ここで書き出すつもりはないが、とにかくたくさんだ。コーネリアスのライブ自体は過去にソニックマニアで2回、パルコの屋上での少人数ライブに運良く当選した1回、で、あとはライブDVDなどでよく鑑賞していたが、こういったホールでの単独ライブ参加というのは初めてだった。誘ってくれた友人に感謝。こんなに好きなのに、なぜか、誘ってもらうきっかけなどがないと行こうとしなかった。なぜなのか。

それは、多分、どこかコーネリアスのライブは「だいたい一緒では」というイメージがあったからだ。映像とシンクロしたパフォーマンスは一体感と統率されたクールさがあるが、逆に言えば自由度がなく今日はどんなことをやってくれるのだろうといった期待値は薄まってしまう。それでも初めて見たときはその演出含め本当に痺れるものがあるので、それなら初見の人に優先的に見てほしい…みたいな古株マインドかのごとき驕りによりチケットを後回しにしてきていた気がする。

しかし、今回の30周年記念ライブは、そんなマインドを忘れるくらいたくさんの驚きがあったし、これまでで一番良い(サービス精神全開な)セットリストだったのではないかと思ってしまった。

コーネリアスのライブを見るといつも思うのが、「これ、日本のクラフトワークでは?」という感覚だ。サウンド面で言えばテクノではなくロックを基調としているはずなのだが、実際にはクリックを聴きながら厳密なリズムと演奏が決められていて、映像との寸分のズレも許されない。4人の立ち姿はシルエットだけでサマになるよう計算されているし、いつもどおりの映像でいつもどおりの演奏をする、その記号性に聴衆も期待している。アイコン一つ出てくるだけで興奮し、音響的・視覚的クールさに特化しそれ以上のエモさにはみ出すことはしない。歌詞からは意味も物語も奪われ、音と言葉が境界線をなくす、言葉が音を表し音が言葉を表す"遊び"に偏執していく。音楽のフォーマリズム。小山田圭吾氏の音楽オタク的、ひきこもり的性格もあるのだろうが、音だけで言えばとてもポップで広がりがあるようでいて、その実とても閉鎖的な作品指向、デザイナーズ指向が、自分の中の無機質な「テクノ」の持つ性格とシンクロナイズドする。そう、だから思春期からずっと電子音楽を好んでいた自分もPOINTでドハマりしたし、ロックのリスナーからも驚きとともに新しい回路を拓いたのだろう。ジャンルのメルティングポイントに突如として現れた青い滲み。

POINTは、音だけで言えばギターとドラムが前面に出ていて、フィールドレコーディング(サンプリング?)とシンセがエッセンス的に支えているアルバムなのだが、自分には完全に電子音楽アルバムにしか聴こえなかった。その電子音楽にしか聴こえない要素とは、つまり「音の配置」に尽きる。もとが生音であっても、音をパソコン上で配置していくというその手つきの極みだけで、ここまで電子音楽的アルバムになってしまうのかという驚き。余分な音、重なっている音、音の立ち上がりや減衰を急激にカットしたり逆に引き伸ばし続けたりといった、決して生演奏ではありえない編集。それはいわゆる「ポストロック」の定義そのものでもあるのだが、コーネリアスがここで発明したサウンドはそのジャンルの代表作という顔もしておらず、また間違いなくやっていることは「音響系」でもあるのだが、系っていうかコーネリアスでしょ、という専売特許、サウンドとキャラクターが一体化した唯一無二のアイコンとして他者を寄せ付けない高みに至ってしまっていた(渋谷系、さえも完全に拭い去るほどの)。

が、デビューからわずか8年でその高みで完成してしまったサウンドは、その後長い時間をかけて徐々にエモさを取り込んでいく。閉鎖的な室内サウンドだったのに、その特徴はそのままに「あなたがいるなら」と、他者の存在や自分の感情を少しずつ開いていく余白をつくりながら。30年のうち2/3は、その執着が様々なプロジェクトなども通して少しずつほぐれたり、変化したりしていく様を眺めているような期間だった気がする。そして先日出たアンビエントモードなアルバムによって、溶けるとこまで溶け切ったという感触があった。

そして、溶け切ったコーネリアスが30周年と銘打って何を見せてくれるのかと思ったら、これまでのアルバムやサイドプロジェクトも横断した大胆な選曲、そしてまさかのThe First Question Awardからのメドレーまで!そ、そこまでやってしまうとは!隣の友人と「もう一生聴けないと思ってた・・・!」と涙ながらに頷き合ってしまった。他にも、Sketch ShowからMETAFIVEへと脈々と演奏され続けてきて自作曲ではないのに大事な文脈を背負ってきたTURN TURN、いつもオリジナル編集映像で楽しませてくれるAnother View Pointは今回は小山田圭吾のテレビ出演映像をこれでもかと掘り出しまくって面白すぎ(後半のYMOとの演奏、そしてDOMMUNEでのあの問題に関する番組の素材には、得も言われぬ気持ちになってしまった)。まさかの大野さんによる歌唱での 外は戦場だよ、FANTASMA時代の空気そのままでTHANK YOU FOR THE MUSICで締めるアンコール前など、もう、「いつも同じでしょ」とどこかで高を括ってた自分は涙ながらに土下座するしかないような大サービスっぷりだった。「E」もやったしテルミンもやったし、サウナ好きすぎ良い曲すぎだし・・・小山田さん、こんなに泣かせるようなことできるようになったんすね・・・。

初めて行った東京ガーデンシアターも、さすが新しいだけあってとても音がよかった。3階からの席ではあったが、想像以上に音圧が強くやってきてまるで小さいライブハウスで聴いているかのような音の近さ。そうだ、コーネリアスの音楽をホールで聴くのってどうなんだろうという思いが多少あったのも、チケットにすぐ走らなかった要因の一つにあったかもしれない。そんなのすっかり杞憂という環境でした。


余韻に浸りながら、帰りの電車で「小池百合子当確」という文字を眺めていましたが、不思議と何も気持ちが揺さぶられなかった。当然だ、僕は今、長年音楽を聴いてきたことそのものを祝福されるような体験をしてきたのだから。失われた30年などではなく、完全に肯定されるべき象徴的30年の総括を浴びてきたのだから。絶望的な結果も、夢中夢のような時間も、全ては現実なのだ。これからも現実をやっていこう。立憲民主党はしっかり総括しろ(最後がそれ?)。

↓このMVがバックに流れながら初演奏されたMIND TRAIN、まるでVRでも見ているかのような、アトラクションに乗ってるような迫力で最高だったので、これだけでも見て帰ってください!