宇多田ヒカルさんのベスト『SCIENCE FICTION』が出ました。もうなんか色々語りたくなるところがあるのですが、とにかく音がスゴい。Re-Recordingや2024 Mixは桁違いの何かに生まれ変わっている。びっくりしました。
こりゃぜひ良い音で聴いてほしい。いや宇多田さんに限らず、音楽はとにかくいい音環境でつぶさに聴いてほしい。そりゃ聴きたいよ、環境や資金が許しさえすれば誰だって聴きたいですよね、いい音で。
と、当然のようにどこかで思っていたのだが、実は世の中の多くの人は、音楽は普通に好きでも、良い音で聴きたいという欲求はたいして持ってないんじゃないか、特に若い人はそもそも良い音で聴くという体験自体していないのではないか、ということを奥さんと話していて、もしかしたらそうかもしれない、となった。これは由々しきことですよ。
考えてみれば、僕の思春期の頃は音楽はCDを買って聴くものだったので、それを再生するプレイヤー、音として出力するスピーカーないしイヤホン、ヘッドホンが必要だった。そして「ミニコンポ」というものが割とどの家庭にもあった(は言い過ぎかもしれないが、少なくとも欲しい家電の花形ではあった)。ブックシェルフスピーカーから鳴る、小振りでも深みのある低音や、部屋の中に音を響かせることの心地よさみたいなものをどこかで体感していた。自分の実家についても、父親がオーディオに凝っていた時期があったようで、ミニとは言えないしっかりしたステレオとアンプがあって、そこからレーザーディスクで映画を観ていたりした(レーザーディスク環境があったこと自体レアであることなどつゆ知らず)。確かにそういう意味では自分は一般より恵まれた音環境で育っていたかもしれない。それでも、多くの他の家でもCDプレーヤー買うならステレオもセットという観念がまだ一般的だったと思う。その後、MDが出てきて、MP3プレイヤーが出て、iPodが出てくるわけだが、まぁ手軽な視聴環境としてはイヤホンが主流になるのだが、まずその音源のためにはCDを手に入れるという行為が依然として必要だったので、まだまだMP3だけで完結、満足!とは至ってなかったように思う。CDはMP3より音が良い、ということはだいたい知られていたし、その良い音源をお金だして買ったのに本領発揮しないのは勿体ないという心理は、少なからずあったはずだ。
だがしかし、スマホとストリーミングの時代になって、音楽から物理的重みがなくなり、誰もがスマホ付属の非力なスピーカー、非力なイヤホンというものを手にした結果、音環境の体験としては最悪な時代が到来してしまったのではないかという疑念がよぎってくる。CDが必要なくなった結果、ミニコンポというものも使わなくなり、粗大ゴミで出したか「なんか実家にあったな」程度のものになってしまったのではないか。
もし、スマホネイティブ世代が自宅で良い音で音楽を聴こうとしたら・・・一番手軽なのは良いヘッドホン、イヤホンを買うか、次いでBluetoothスピーカーを導入するか、もう少し頑張ってスマホと繋がるポータブルアンプ等を導入してアクティブスピーカーに接続するか、なんやかんや頑張って有線でデカいアンプとパッシブスピーカーに繋いで・・・そこまでする頃にはもうプレーヤーもスマホではないだろう…。つまり多くの若い世代は、iPhone付属の白い有線イヤホンはさすがにちょっとチープだし(というかそれが付属してたiPhoneももう古い世代だし)、airpodsかあるいはちょっと良いBluetoothイヤホンを買って終わり、という人がとても多いのではないか(それらを悪い音とまでは言わないけど)。そしてなんなら、最近はスマホ本体からも良い音がするよね~とか言ってるに違いない!
CDを買ってCDの非圧縮音源から音楽を聴いていた時代から、今や、ストリーミングの圧縮音源を、Bluetooth接続によってさらに削減された情報量の音質で聴くという、単純に音情報量という意味では全体的に劣化音源が普及する時代になってしまったのだ。音楽の聞かせ方というか、レコーディング、ミックス、マスタリング技術は時代とともにどんどん磨かれていって、同じ16bit 44.1khzのCDでも、10年前の作品よりは今のほうが遥かにクリアで迫力ある音が家まで届けられるようになっているのに、それを真に体感できる環境については、今やどの程度の人たちが手元にあるのだろうと考えてしまう。
もちろん、ストリーミングも進化していて、CD以上のハイレゾ音源を配信するプラットフォームも多いので(そういう意味でもSpotifyはおすすめしづらい…)、あとはそこからPCなり有線ヘッドホンなりアンプなりと繋げて、その気になればCDと同等以上の環境を構築することはそう難しいことではない。しかもせっせとCDを買ったり借りたりして散財していた頃からすると、月1000円で音楽聴き放題なんて夢のような状況なので、その浮いた分をオーディオに投資だってしやすいはずとつい思ってしまう。でも、まずそこまでしようという意欲が、あまり湧かないのではないか。いい音で聴くと気持ちいいという原体験が少ないのではないか。いや、自宅以外を考えればむしろいい音の場所は昔より増えている。ライブハウスやコンサートホールの設備もグレードアップしているし、映画館でもIMAXを始めとした上質な音体験を味わえる場は増えているはず。それでもやはり、今のこの貧乏かつコスパとタイパの奪い合いな時代には、そういった現場に行くことすら稀で、オーディオなんて無形のモノに投資をしようなんて、やっぱり思われないのだろうか・・・。
なんか偉そうな目線でものを言ってしまった。自分だってそんな自慢できるオーディオ環境を整えているわけではない、多分15年以上使ってるスピーカーとアンプにiPadとPCを繋いで聴いているし、アナログレコードの音の良さなどは語る術を持たない。それでも、外で手軽に無線で聴いている時よりも、家でしっかり聴くときのほうが実に豊かに、繊細に耳を震わすことができて、それによる脳汁の出方というのがすっかり癖になっている。外出時に初めて聞いた音源ですごく良いものがあった時、早く家に帰ってスピーカーで聴きたいと思う。音の迫力や質感、空間との融合の仕方で感動がまるっきり変わってくる。音楽は歌とメロディだけで出来ているわけではない、その音色、響かせ方、立体感、音像、アーティストやエンジニアがスタジオで創造したそういった体感の意図を、なるべく漏らさず受け取りたい、そして隠し味的に含まれた隅々までの感動を味わい尽くしたい、出来ることならそれをみんなと分かち合いたい。ただそれだけといえばそれだけ。そんなようなことを、宇多田ヒカルのベストアルバムによる最新鋭のミックスを聴いて、あらためて強く思ってしまったのでした(と同時に、そういった現代の多くの視聴環境でも映えるよう、より空間性を強調したバランスのミックスになっている感じもあるので、そうした前提の上でエンジニアの方々の苦心や意図を思ったりもする)。
ついでに付け加えると、Apple Musicの空間オーディオ(Dolby Atmos)については、これはもうさらなる高音質化とかではなく、新しいベクトルとしてとても面白い。人間の耳が左右に一つずつという条件はどうやらしばらく変わらなそうなので、音楽をストレートに楽しむという段階ではやはりステレオが最適解な気がするが、それでもこういう新次元の体験が増えることは未来だなと思う。同じ楽曲に全く新しい体験(バーチャル)の軸を生み出す。Dolby Atmosでずっと聴きたいとは思わないけど、そういう選択肢もあるというのは単純により豊かに感じられて楽しい。まさにSCIENCE FICTIONという、未来と科学と虚構を感じさせるタイトルがついたアルバムを、次はDolby Atmosで通しで聴いてみたいと思うのだった。
以上、はいファイによるハイファイな日記でした(書き終わってから気づいた)。