会社人、その忘却

はいファイ
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以下は4/5(金)に8割方書いたまま放置していた日記で~す


社会人をやっている。

4/1からこの一週間、フルで出社した。したくてしたわけじゃない、うちの会社は積極的にリモートワークを導入中で、席もフリーアドレスという名目で広々と椅子を置くスタイルになったので、いまさら全員出社したとしても座る場所がないという状態になっている。なのでいつも会社にいるのは出社が必要な職種の人、自主的に会社にいることを選んでる人などでだいたい固定メンツ化している。自分がいる課については、絶対ではないが一応誰か一人は出社してようかという形を取っており、これまでは週2日くらいのペースで出社していた。個人的にもこのくらいの出社については不満もないというか、フルリモートで毎日自宅に籠もっていたら絶対おそろしい運動不足になって健康被害が訪れる予感に満ちているし、ランチの場所とかも選択肢が自宅周りだけではまぁまぁうんざりしていたと思う。会社という場所で仕事以外の雑談をする時間もやはり楽しいと思う、それ自体は他愛もなくほんとにちょっとしたものだとしても、ふっとガスが抜け、まだ他人と場を共有するという機能が自分に失われていなかったことに安心する。

でも、かといってじゃあ毎日出社したいかというと、正直もうしたくない。できない。なぜなら絶対運動不足になるくらい、自宅を愛してもいるから。リモートワークは、やはり最高。だって好きな音楽をスピーカーで聴きながら仕事できるんだもん。リモートワーク導入されてから、音楽好きで本当によかったと思ってしまった。音楽を聴きながら仕事をするのは、なんとなくサボってる範疇には入らないと思われている気がする。職場によってはBGMを流していたりするところもあるだろうし、店舗だったら好きな音楽を流せるところもあるだろう。そういう感覚で、音楽くらいなら別にいいという雰囲気が形成されている気がする。でもじゃあ映画やアニメを見ながら仕事するのはどうなんだ、ゲームをしながらは、と考えると、音楽だけ許されるのも変な気はする。でもテレビを流すのはセーフっぽいよね?テレビが良いならアニメがだめとも言えない気がするし・・・。と、結局誰もそんなボーダーラインは決めてないし、リモートワークの性質上決めたところで実効性もない、すべては本人の自主性ということで…なら音楽はヨシ、ヨシとなるはずだ。逆に家でPCに向かっているのに音楽を禁止されたらそれこそ発狂するかもしれない。毎日出社メンツの仲間入りするかもしれない。

と、そんなに家と音楽とリモートワークを愛しているのに、4/1からこの一週間はフルで出社してしまった。こんなこと久しぶりだ。とても大変だ。とても疲れている。コロナ前はこれがずっと続いていたのかと思うと、自分がいかにひ弱になっているかを実感させられる。なぜフル出社かというと、新しく入った人への業務の引き継ぎや教育が必要になったからだ。いろいろリモートで教えるのは難しいのもあってそうなった。

外へ出ると一日の速度が上がる。家にいても早いと思うが、会社に行くとさらに加速する。移動をしたり、人と言葉をかわすことは、時間感覚を変調させると思う。緊張と弛緩を繰り返しながら、それに合わせて時間もストレッチする。慣れない連日の移動と時間感覚により、眠くなるのも早い。そうこうしているうちにこうやって夜中にインターネットに向き合う時間も体力も減っていく。インターネットとの蜜月時間が減るとどうなるかというと、だんだん自分が自分じゃなくなってくる。私のゴーストの半分はインターネットに漂っている。

こうしてフル出社して、インターネットのゴーストと引き剥がされてしまうと、ああ、まるで社会人だと思う。自分にとっての、というか世の多くの人にとって「社会人」という言葉はニアリーイコール「会社人」という認識になっているのではないか。満員電車に乗って移動して、オフィスで仕事をする。これだけで社会人になってしまった気がするし、逆に言うとリモートワークをしていると社会人をやっている感覚が薄れてくる。子供の時から自分は、家でもくもくと好きなことだけするタイプの生活で生きていきたいと考えていた。だから、たとえば漫画家として漫画を描き続けて生きていきたい、というほどの熱意は持てなかったが、「漫画家のような生活」には憧れているところがあった。それは自分にとっては「社会人」ではないようなイメージだったし、社会から外れたアウトロー感にもちょっと憧れた。しかしそれが、リモートワークの導入によって、ただの会社人間のままでありながら、「そのような生活」を半分実践できてしまっていることに気づく。

ただ、やはり半分なので、ある程度時間には縛られているし、好きなことばかりしているとはもちろん言えない。本当に自分のペースの生活にしてしまったら昼夜逆転は必至。そして深夜に仕事をしてしまったりするだろうから、そうなったらきっとこんな風にしずかなインターネットを書くこともなかったかもしれない。今は、深夜にこうやってインターネットにダイブすることと、リモート会社人間を両取りすることで、生活と気持ちを半分ずつ満たしているといったところか。しかしそんなことをしてると、今度は睡眠が犠牲になってくるのでよろしくない。。そうならないよう、週2日の出社で調整をしたい、と思っているが、まぁままならない。

今年度は、理想の生活と気持ちの充足と体の健康の最適解に、辿り着きたいと思う所存です。

ところで、新しく入った人は、新卒入社というわけではないのだがそれに近しいくらい若い人で、体験的に最古のゲームが「スーパーマリオ64」(しかもDS)で、「iモード」も知らない。そんな人達も会社人になっていくのだろうか。若い人たちはみんなとても素直だ。だが、同時にどこか自分勝手だなとも思う。その両輪を自然に身に着けてきている気がする。自分がなかなか会得できなかったものをもう持っている気がする。それを失わないでまっすぐ生きていってほしい。仕事しながら音楽聴くこと一つくらいでアレコレ考えないように。社会人のイメージなんかに縛られなくていいように。


というだけのたいして身のない日記をなぜ今日まで書き終えられずにいたかというと、土曜日からPS5で『ホグワーツ・レガシー』を始めてしまったからです。こういうオープンワールドアクションRPGって、そのゲームが面白いかどうかを判断する以前に、絶対やり続けてしまうんですよね。目の前にタスクがどんどんぶら下げられていくし、ストーリーも気になっちゃうし。そしてプレイ期間中は、生活が「仕事とゲーム」だけになる。上にあれほど好きだと書いたインターネットや音楽すら疎かになる。数日で矛盾していく。たぶん、フル出社によるゴースト乖離現象を取り戻したくて、ゲームに手を出してしまったんでしょう。ゲーム世界に没頭している間は、「自分」ですらなくなる。ゲームは自我をある種失える。インターネットは逆にアカウントという分身を通して自我の再認識ループをし続ける場だとしたら。社会人化してしまった自分を一度忘却したかったのかもしれません。ゲームという魔法による無意味で幸福な時間。僕は社会人ではなく、ホグワーツの生徒です。