ストップ・メイキング・センス。躍れ、走れ、逃げろ。

はいファイ
·

三連休ってすごい。三連休あると、体が休める上に、やりたいことまで出来るし、おでかけまで出来る、とても強気な気分になれる。逆に普段はなんで2連休しかないんだろう?2024年とかいう未来なのに、なぜ労働日数が変わっていないのだろう?すごく不思議な気分になってきました。僕たちはどこから間違えたんでしょうか?

そんな三連休の中日の日曜日にはですね・・・ストップ・メイキング・センス 4Kレストア版を観に行きました!!知らない人は何はなくとも予告編を見てみてください!!

知らない人は、なんてカッコつけて言ってしまいましたが、実は僕も全然知らなかった、この映画のことも、トーキング・ヘッズというバンドのことも。ブライアン・イーノがしばらく一緒にやっていたバンドであること、そのバンドのデイヴィッド・バーンというボーカルの人とブライアン・イーノが、後年2000年代に入ってから再びコラボして音楽を作っていたこと(つまりイーノ経由でその名を知ってたくらい)、上のビデオの0:25くらいのところで一瞬見られるクネクネダンスをどこかで見たことあったのと、あと『Remain in Light』というアルバムのジャケットだけはよく見た、というくらいの浅い認識しかありませんでした。まずロック少年ではなかったので、80年代のニューウェーブバンドというものを近年になってやっと少しずつ知るようになったこと。そもそもこの映画というかライブ映像自体が、1984年という、僕が生まれる前のものだったりします。

そう、これは映画というかライブの映像。でも普通のライブ収録と編集されたものとはひと味もふた味も違って、これを撮った後に『羊たちの沈黙』などで有名になったジョナサン・デミ監督による凝ったカメラワークと、意外性と納得感のあるウェットかつ大胆な編集が施されていて、映像作品として見ても見どころ満載なのです。

トーキング・ヘッズのことを上記程度にしか知らなかったので、こんな映画が存在したことももちろん今回まで知らなかったし、この度見に行ったのも、Twitterなどで音楽クラスタの皆さんが揃って見に行って絶賛してるのを見て(あと上司も観に行って興奮していたので)やっと気になった、という情けないものであります。

それでも、先日の109シネマズプレミアム新宿での高橋幸宏ライブを観て、改めて映画館という場所でドデカイ映像と音で音楽を体感するの最高だなという記憶が体に残っていたのもあり、トーキング・ヘッズという、よく知らないけどきっと悪いはずがない音楽を、IMAXで体験できるなら楽しそうだ、あと、あのクネクネダンスをIMAXで観られるとかウケる、と思い、足を伸ばすことにしたのだ。

最高にカッコよかった・・・・・・・・・

最高に楽しかった・・・・・・・・・・・

思わず二重で強調してしまうほどの最高の体験でした。そして、トーキング・ヘッズ、デイヴィット・バーンという人のカッコよさ。なんというか、アート出身という感じもあってとても演劇的な演出を随所に取り入れている、取り入れているというか自身で演じている。それは冒頭に、何もないステージにラジカセだけ持ってきて、「やあ、テープを持ってきたよ」と観客に語りかけるところから芝居がかかっている。弾き語りをしながら、ドラムマシーンの音に合わせてよろける、足元が崩れる、それでもしがみつく。そうこうしてるうちに、ステージに少しずつスタッフによって舞台と楽器が搬入されてくる。一曲ごとに演奏者が増えてくる。少しずつ仲間が集って世界がダイナミックに、多様になっていく姿、なのに笑ってるのはメンバーだけでバーンはずっと孤独な雰囲気を湛えた目をしてシュールな歌詞を歌い続ける。音楽はどんどんファンキーになり、躍らずにはいられないが、トーキング・ヘッズたちの踊りはまるで振り付けが決まっているようなそれで、しかもその振り付けが、ことごとくダサい!

そう、ダサいのだ、断片的にその演奏姿を見たら。なんでずっと足踏みしてるんだ、ずっと同じステップ、お互いを見つめながら同じように体を揺らす、そのクソデカスーツ面白すぎるしなんで着てきた??その小学生の体育みたいな赤い帽子何??そして例のクネクネダンス、あと痙攣。

でも、不思議と、この音楽と歌詞、そしてバーンのあのオーラをともに観ていると、全てが一体となったどれも欠かすことの出来ない完璧なパフォーマンスに見えてくる。「カッコつけること」に対する究極の反骨精神。カッコいい音楽をやりながらカッコつけない方法、なんて、考えると逆にどうやればいいんだろうと思ってしまう。ここでトーキング・ヘッズは一つのやり方を示してくれている。あのクネクネダンスの曲の後半では、バーンは一心不乱にステージを走り回る。それは本当に、ただただ徒競走をしているかのように、前を向いて走る。まるで逃走。もしかしたらこの人のパフォーマンスは、常に何かから逃げようとする行動なのかもしれない。既存のイメージから、社会の規範から、自由を奪う、すべてのものから。(ビッグスーツという社会の制服のカリカチュア!)

それを観て、僕らはカタルシスを得る。解放されていく。見たことないものの衝撃、つい体が動いてしまうような音楽の中で、その衝動を抑える必要などないのだとビジュアルで直接訴えかけるような、スタイリッシュとは程遠いわけの分からないパフォーマンス。それを見て、笑いと、驚きと、自分の中に勝手に持っていた規範的なイメージ、それを覆すインパクト、自由であることの喜び、とにかくハッピーなメンバーの演奏、一人だけ浮いた孤独な道化師でもあり、カリスマ…そうしたものがまるっと一体となって襲ってきて、その時やっと「本当にカッコイイ・・・」という言葉に行き着く。

もちろん、意図的にダサいことをしている、というのは、それもまた「カッコつけてる」であることに変わりはないといえばそうなのかもしれない。でも、ただカッコよくて憧れるという以上に、そこには「自由さをもらう」かのようなエネルギーがある。俺はこうする、お前はどうする?というメッセージ性を感じる、どこにもそんな言葉はないのに。音楽に乗せられて体を自由に動かしながら、躍りながら、この社会を生きるとはどういうことだろうと、つい考えてしまうようなエネルギー。それは体を熱くしながらも、真の意味で"クール"、スッとこの社会のルールや求められる姿から距離を置いて、抗い、逃走する方法論なのかもしれない。

これは何度も見たくなるし、逃げ方を、そして戦い方を忘れそうになる度に見返すべき映画と言えるやつだ。バーンも「質問ある?」と言ってるだろう。この世で生きる限り無限に生まれる質問に、ライブパフォーマンスという形で全力で答えてくれているのだから。

というわけで、俺も三連休明けの平日という社会からの逃走のために、こうして深夜にしずかなインターネットを書いています。これが俺の自由か。STOP MAKING WORK.

・・・とかなんとか言ってたらスタンディング声出し上映もやるらしくて、めっちゃそそられています・・・