Twitter(X)とBlueskyの使い分けについて(を、書いている途中でBlueskyが開国した、その記録)

はいファイ
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Yo! Blueskyが!オープンになったYo!

2月6日の夜にBlueskyが招待制を撤廃してオープンに誰でも登録できるようになりました。鎖国終了。Blueskyって何?という人は多分この記事を読んでる人にはほぼ居ないと思うので(購読してくれてる人はだいたいBluesky経由で来ていただいたと思うので)特に説明はしませんyo。

普段の日記とは別に、あるテーマに沿って思いの丈を思い切りぶつけるための記事というのを、下書き状態でいくつか保存しているのですが、そのうちの一つに「Twitte(X)とBlueskyの使い分けについて」という内容のものがあった。完全に移住できるならしたほうが気楽ではあるのだが、それぞれの特性やフォロワーの違いもあるしで、とりあえずは以下のように使い分けながらやっていこうと思っていたのだ。オープン化する前は。

Twitter(X)

聴いてる音楽(新譜多め)、写真、ライブや映画や展示などの感想、人生と浮世に伴う抽象的な思考

Bluesky

聴いてる音楽(旧譜やポップなもの)、青空や気楽な写真、しずかなインターネットで書いた日記、仕事のこと、日常のこと、ゲームのこと、Xの悪口

まぁつまり、普段の日常に寄り添った気の抜けたポストはBlueskyに、ちょっと背伸びした、日常から遊離した頭の中の思想的部分はXに、という風な意識的な分け方で運用をしていこうかなと考えていたのだ。

もともとは全部ひっくるめて好きにつぶやくものとしていきたかったTwitterアカウントなのだが、徐々に、それはTLを形成していく中で勝手に自意識をこじらせてしまった結果なのだと思うが、上記のようなもの以外は求められてないんだろうな…と勝手に感じるようになってきたところがある(アルファツイッタラーでもなんでもないのに求められるもクソもないのだが)。またそれ以外にも、Xの運営方針(特定のワードのインプレッション評価を下げたり、理不尽な凍結リスクなど)を気にしてしまうとどんなツイートにもちょっとした緊張感を伴う部分が出てきてしまっていた。フォロワーからも、ビッグブラザーからも評価されているかのような、そんな被害妄想がよぎる。ただのつぶやきのはずだったのに。

もちろん、あの悪評高い「おすすめ」も見れば見るほど下世話になっていくし、トレンドは人々を扇動する。トレンドワードをツイートするとインプレッションが上がるというのだから、妄想でもなんでもなく常に評価に晒されているのだ。そんなゲームに参加した覚えはなかったのだが。

そんな諸々もあって、Blueskyという現状フラットな場で自分のことを知らん人達とゼロベースで繋がること、プラットフォーム側の監視アルゴリズムや経営的都合などを今のところは考えることなく素の日常を垂れ流してもよいのだということ、その純粋な楽しさを、久々に体感することができている。(もちろん、Blueskyも公序良俗に反するポストへの監視体制は厳しく敷いていることは知っているが)

言うなれば、Xの環境ではアカウントというものが、まるでそこに流れているのは人ではなくコンテンツかのように接する場になってしまった、とも言える。コンテンツでなければ見向きもされないような風土(それがブランディングだと?)。おすすめアルゴリズムとは端的に人間のコンテンツ化ではなかろうか。それは結果的に提供側と消費側をはっきり分けるような構造になり、消費側はまるでコンテンツに対して軽率に「コメント」するのが当たり前かのような消費空間となり・・・。

逆にBlueskyでは、「誰もが他愛のない日常を垂れ流す」ということがまず合意された上で、人としてフォローし合う、という本来的なSNSの風土がまだそこにあるように思うのだ。

またBlueskyのメイン機能であるFeedというものを見ても、見方によっては人の集まったまとめコンテンツでもあり、色んな人の他愛のない日常でほっこりしたいというささやかな楽しみを見出すような場でもある。見る側はFeedやモデレーションを使って表示する情報をコントロールできるので、発信する側もそれを前提とするからこそ、逆に「求められる」ことなど気にしなくてよいという作りにもなっている。

そのサービスデザインが、現状はうまく働いているなと思った。そんなわけで肌感覚的にもBlueskyでは気楽にポストできそうだったので、そこでは人としての日常を、Xでは人ではない何かとして(幽霊的な存在として?)浮遊していたいと考えた。そんな両面の精神でうまいこと続けられそうならと、実験精神を持ちつつそれぞれにポストを(たまに気まぐれで同内容コピペポストをすることも)していたのだが・・・

Bluesky、突然の招待制撤廃、からのお祭り状態

2月7日は大変でした。仕事も大変だったのに、Blueskyも大変だった。

まず、オープン化なんて知る由もない6日の19時にポストした投稿が、なんかやたらと伸びてしまい(最終的には200RPの1100like越え)、通知がどんどん止まらなくなってきている最中に、突如オープン化。それにより流入してきた新規の方たちにも、その伸びているポストが目に入る状態だったのか、アカウントできたてと思われる人たちからの通知もどんどん来るという、ダブルお祭り状態に。

TL上では、これまで鍵垢感覚で運用していた人達が慌てふためいたり、初心者向けの案内を繰り返したり、Xでの著名アカウントが続々とやってきたり、それに伴う大喜利やインターネット老人語録のようなものがあちこちで発生したりと、こちらも突然「ハレ」の状態に。

翌7日はもう一日中そんな感じだったので、通知にTLにと正直楽しかったですが、仕事も仕事でかなりテンパっていたため、焦って仕事しては合間にブルースカイをチェックするという大忙しなことに。まるでBlueskyが仕事より重要かのような書きぶりですが、仕事はいつもいつまでもやってくる。しかしネット上のこんなお祭りなんて、何年に一度もないかもしれない、もう二度とないかもしれないんですよ。僕はインターネットに人生を見出しているので。みなさんは人生より大事なことがありますか。

2月8日時点ではもう、たった36時間とかそこらでこんな変わるのかと言うほど、Blueskyは一気にTwitterのようになった。でもそれは、フレッシュなフォロワーとの関係、ビッグブラザーのようなアルゴリズムとは関係のない場所、それによって見出したこれまでの抑圧からの解放。そんな身軽さを保ったままで。

そうして、2月9日になるともう、Twitterで長いこと繋がっていた人達も続々とやってきて、フォロー欄だけ見ると逆に懐かしい安心感のようなものまで芽生えてくる状態になった(その人達がBlueskyに居着いてくれるかはまだ分からないが)。そうなってくるといよいよ、上で考えていた使い分けというものも意味をなさなくなってきた。ので、数日前の考えとはぐるっと変わって、じゃあもういっそ以下のようにしてしまおうかと思った。

Twitter(X)

Blueskyで投稿したものの中から、Xっぽいものを抜粋してダイジェスト的な投稿

Bluesky

 全 部

だいぶ気楽になってきた。

完全移住に踏み切れないのは、未練があるからというより、一応まだXの動向や傾向をチェックしておきたいという気持ちがあるから。そっちが監視するなら、こっちだって監視してやるんですよの精神。それでも、ここまであっさりと主体をBlueskyに移すことが自分にできるとは、結構意外でもあった。それだけXに嫌気が差していたことも、どこかで抑圧していたのかもしれない。

「使い分け」について書いてみる記事のはずが、「(ほぼ)使い分けません」という記事になった。Blueskyの魅力について書くというより、Xの何にうんざりしているかということを自分の中で整理つけるような記事になった(まだとっちらかってる気もするが)。

というわけでこの一週間の後半は、やたら忙しい仕事と青い空。それで占められていたので、これは独自の記事でもあり日記でもあるのです。最後に名曲を貼って3連休に突入です。今週もお疲れ様でした。