6月4日だ。うれしい。自分の誕生日というのはその字面だけで嬉しくなってしまう。自分だけに与えられた何かしら特別なものというオーラが染み付いてしまっている。でも、世の中には自分の誕生日が嬉しくない人もいるのだろう。自分の誕生日を嬉しく思えるというのは恵まれて生きてきたことだなと思う。
6月4日、小さい頃は同級生などに「虫の日」と呼ばれからかわれたりした思い出もある。そのたびに「虫歯予防デーだよ!」などと反論(?)をしていた気がする。まぁいずれにせよ虫なのは変わらないが。それ以上にそうやって語呂合わせで覚えやすい日であることがありがたかった。
小学校も後半になって「NINTENDO 64」が発表された時からは、よりうれしかった。低学年の頃からテレビゲームと言えば任天堂、自由帳にはスーパーマリオのマンガをたくさん描いていた人間として、「ロクヨン」で同一化できたようなカタルシスがあった。周りにもゲーマーが多かったので、ロクヨンとして広く認知してくれていたように思う。なにより「虫の日」から脱却できたことがうれしい。
6月4日生まれの著名人として調べると出てくるのが、アンジェリーナ・ジョリー、和泉元彌、ももクロの玉井さんなどなのだが、個人的には電子音楽界隈で中原昌也さん、ヒロシワタナベさんと同じ誕生日なのがうれしい。中原氏の、小説作家として、映画批評家として、グラフィックアーティストとして、そしてノイズミュージシャンとしてというその多彩な才能に憧れつつ、勝手にシンパシーを抱いているところがある(お早い回復をお祈りしております)。
それと、世の中を見つめると、やはり6月4日といえば六四天安門事件になるのだろう。自分が4歳になった時にそんなことが起こっているなんてもちろん分からず。大きくなって、この名称をよく目にするようになるのはインターネットの中でだ。それも最悪な形で、ネット上で「中国人除け」のようなワードとして天安門事件という言葉が貼られている光景を先に目にしてしまう。しかもそれが2ちゃんねる全盛のような頃から、このSNS時代でも未だにそういうものとして一部、偏屈な人間の間で使われ続けている(まぁ2ちゃんねらーがそのまま使い続けてるだけかもしれない)。人間をなんだと思っているのかと思う。
こうしてこの日付だけで、さまざまな思い出や喜び、怒りや、社会的な自由の尊さを思う日になっていく。今日は仕事は半休を取って、おいしいものを食べに行ったりポケモンセンターに寄ったりして自由に過ごすことが出来た。平日のポケモンセンターは、店内を見渡すと大半が外国人なのではという風情。様々な国から来たと思われる人達が、皆お気に入りのポケモンのぬいぐるみを抱きながら店内をうろうろしている。言葉がたとえ通じなかったとしても、ここでは同じ世界観をイメージのレイヤーで共有している連帯感がある。とはいえ、実は僕は全然ポケモン本編のゲームはやっていないので、この中では一番肩身が狭い(イメージの世界が小さい)と言えるかもしれない・・・。
30代最後の一年、多様な世界を言祝ぎながら生きていきたいものだ。