終わる2月/ジム・オルーク&石橋英子/Oneohtrix Point Never

はいファイ
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2月が終わった。はい?

そしてもう3月4日であるらしい。ずいぶん日が経ってしまった。土日にも日記は書けたはずなのだが、ダラダラするのに忙しく(主にスプラトゥーンの秩序の塔攻略や新シーズン環境を把握することなどで)こんなことになってしまった。

2月は、仕事が妙に立て込んだりしたのもあって、でもそれなりに遊べるときは遊んだりもしていて、短い中にギュッと詰まった月だった。濃密なのは良いことのように思われがちだが、常に焦っていた感じもあるので、余裕ある暮らしをできるほうがどちらかといえばよい。

そしてそんな忙しい合間を縫って、2月28日は、なんとかこの日だけは仕事を早めに切り上げるぞと決めていた日でした。8000円のチケットは無駄にできないので。そう8000円。平日8000円立ち見という条件のせいで、もちろん大好きな観たいアーティストだったのだけど、ずっとチケットを買うのを保留してしまっていた。売り切れになったらそれはそれでしょうがない、そうやって諦めさせてほしいというような気持ちがどこかにあった。でも、2月に入ってもまだ売り切れない。そうこうしてるうちに仕事が忙しくなり、忙しくなったせいでフラストレーションが溜まったのか、これは何かを楽しみにして発散しなければいけないという思いが湧き上がり、気付いたら衝動的にチケットを取っていた。8000円。

Oneohtrix Point Never(EX THEATRE ROPPONGI)

前座は ジム・オルーク&石橋英子。前座なんて軽い扱いにするのは申し訳ない、大好きなお2人。もうJim O'Rourkeと書くよりカタカナのほうがしっくり来るくらい、日本在住歴も長く、おかげでライブも何度も見させていただいているが。それって本当に僥倖なことだよなあと改めて思う。もう歌モノアルバムは作る気がないみたいだし、そういう意味では洋楽ファンからは過去の人のように扱われてそうだけど、電子音楽家としてのジム・オルークは今でも、いや今こそこれまでよりも更に脂が乗って、他の追随を許さないくらい豊潤な音響を生み出していると、新譜を出す度に感じる。そんな人が出身地を離れて日本に住んでくれて、しょっちゅうライブをしてくれているなんて、本当にありがたいことだ。石橋英子さんだって、ジム・オルークと同じくらい音楽の振れ幅が大きく、エクスペリメンタルから歌モノ、サントラ、星野源のバックバンドまで大活躍だし。ジムの歌モノが聞けなくてもあんまり寂しくないのは、石橋さんの歌モノアルバムで同時にジム・オルーク印のバンドサウンドも楽しめているからかもしれない。

そんなお二人ですが、2人だけの演奏を披露する機会というのはあまり無い気がするので、これも貴重。この方たちが作るアンビエント、ともドローンとも言い難いような、電子音響としか言いようのない音楽は、エクスペリメンタルではあってもどこか親しみやすく、そしてとてもドラマティック。分かりやすいメロディとかもないけれど、完全に人を突き放したようなノイズや持続音というわけでもなく、どこか宇宙を漂う粒子そのものを音にするかのような、粒立ちのよい、こう言ってよければ可愛らしさを感じるような音色、断片、微かながらもめくるめく展開などがある。そこに石橋英子さんの幽玄なフルートが響き、この宇宙の新しい導き手として重力を発生させる。まるで空気そのものを音に変換する手つきのような、本当にジェントルな音楽だと思った。

つづいて、お待ちかねの「OPN」。やっと生で観ることができた。新譜を出す度に、その聴きやすくはあるのに不可解な世界観が、アンビエントと言える作風のはずなのにシュールな迷宮に迷い込んだような謎めいた感触が、電子音楽好きのみならず音楽ファンの間で話題になるし、それでいて透き通るようなシンセサイザーの音の煌めき自体は間違いなく美しく、メジャーなアーティストのプロデュースやコラボにも今や引っ張りだこのお方。して、そのライブパフォーマンスやいかに・・・

まさかの人形劇だった!え?

ライブは素晴らしかった。音も良く、曲ももともと良いことが証明されるような、ロマンティックなメロディが、ライブ用にさらにアグレッシブにアレンジされており、体が揺れ続け、頭がシンセの音に突き刺さり続けるような体験だった。しかし何よりその舞台演出が…映像が…。OPNの他にもう一人ステージに上ったのは、ビデオアーティストのフリーカ・テット。何をするのかと思ったら、ステージの脇に作られたミニ・ステージで、その中に居る人形のミニ・OPNを操り、その様子を写した映像が、リアル・OPNの後ろに投影され、音楽に合わせたエフェクトともにデッカく映し出された幻想的なミニ・OPNの前で、変調した音声で歌ったりするリアル・OPNが・・・お、おれたちは何を見せられてるんだ・・・

OPNの音楽は、一聴して心を奪い誰もが好きになってしまうようなポップネスと、謎めいた深淵を感じさせるミステリアスさ、そして聞き手側が「これは自分にしか分からないものだ」とつい思ってしまうような、高度な文脈性がある(みんなが「自分には分かる」と思ってしまうようなそれは、果たして高度と言えるのかどうか)。本人が近作三作を「思弁的な自伝」と語っているように、そこには彼の若かりし頃の記憶が、ある種の歪みと誇張を持ってして現在の自分との二重性によって表現されていたのだと思う。美しい音楽に群衆とともに共鳴しながら、アーティストのごく個人的な記憶の世界にのめり込んでいくこと。そこで出会う、それまでミステリーだったものが唯一の真実としてベールを脱ぎ、あなたと私という個人として出逢えたかのような喜び。そうした感動を誘発すること。その人形劇は一見間抜けなようで、これらが隅々まで計算された上で今のステージがあるのだという強烈な説得力。それこそが「ポップ」なのかもしれないし、いやむしろ「アート」と言うべきなのかもしれない。

あまりにも冷静に、正常な眼差しのまま、人の裏をかいてくる。意表を突きながら、次の瞬間には完全に納得させる。いい音楽を作ることなど、この人にとっては余技のようなもので、こうやって総合的に自身の世界を提示し、人を惑わせ、かと思ったらすぐ分からせるような、そんな運動にこそ本質があるのではないかとか、これまでのレコードとこのパフォーマンスを見て思ってしまうような振る舞いがそこにはあった。

もう全然何言ってるのか自分でも分からなくなってきた。これは日記であって、レビューでも批評でもなんでもないつもりだったのに。こんなにも「語らせること」を強要してくるような音楽もなかなかない。Oneohtrix Point Never、そのネーミングからしてセンスが良いこの時代の寵児は、もうなんていうかマジでめちゃくちゃに頭の切れるセンスのヤバいアーティストなのだ(最終的にめちゃくちゃ頭の悪い一文がでてきた)

・・・そんなことを、ライブ後に超久しぶりに再会した、もともとネットで知り合った友人と大いに語り合ったりなどもしたのだが、それについてはまた後日…書くかもしれない。書かないかもしれない。ただ一つ言えることは、インターネットと音楽(あとゲーム)のおかげで幸せであった。