れいさか三題噺「落ちていった傷あと」

灰月 市
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あ、と声が出た時には遅かった。

思い切り大きな音を立てて手鏡が落ちる。祈るように無事を確認したが、時すでに遅し。手鏡はただのガラス片になり、枠も亀裂が入っていた。

その音で、その場にいた柚子と坂本と桜庭が振り返る。三人とも落とした張本人━━秋を見ていた。

「……どうしよ、これ」

絞り出せた言葉はそれだった。

割れたのは西条探偵事務所にある手鏡。元は西条が骨とう品屋で買っていたアンティークものだ。いくらしたのかを考えるだけでおぞましい。呆れたように坂本は近づき、柚子も少し離れたところで様子をうかがっていた。

「買い替えるしかないだろ。西条さんに言ってから」

「マジで……?オレ今月厳しいんだけど……」

「でも割ったのは秋さんでしょー?」

「そりゃそうだけどさ……。うわ~……マジか……。完全に気が緩んでた……」

三人で破片をガムテープでくっつけて回収する。割れたことに関しては桜庭が西条に伝えた。

「西条さん、別に怒ってはないよ。でも確かに買い替えた方が良いかも」

「あの人優しいからなあ……。普段のお礼も兼ねてって感じっすかね」

「西条さんはアンティーク品が好きだからね。新しいのがあったら喜ぶんじゃないかな」

桜庭の言う通り西条は特に怒ってはおらず、「ケガはしてない?」「その手鏡くらいなら気にしなくていいよ」と安堵させるように言っていた。それでも秋は申し訳なさが強いようで、うーん、と悩んでいる。

「薬師寺さんのところに手鏡ってないかな。同じ感じの、アンティーク品」

「ああ、古物店。確かにあそこなら西条さんの好みにも当てはまりそう」

そこで柚子が思い出したように言う。

「あ!私、ちょうどドレッサー買おうか悩んでたの!ついでに行こうよ!」

確かに柚子くらいの年齢ならドレッサーもそろそろ必要になるだろう。柚子の父親はそんなことにかまけていられる精神状態でないことは、三人も知っていた。

桜庭が「一応ポケットマネーだけど」と何枚か紙幣を渡す。桜庭はまだ仕事の途中で、事務所からは抜けられないらしい。

「本当にすみません」と坂本が受け取り、

「じゃ、薬師寺さんのとこ行くか」

と、坂本が率いて薬師寺古物店へと向かった。

━━

薬師寺古物店では相変わらず店主の薬師寺がサボり、眠っている。本来は養子である蛍もいるはずだが、今日は出かけているようで姿は見えない。

「やーくしじさーん。ちょっとドレッサーと手鏡を買いに来たんですけどー」

秋が大きめの声で投げかける。ゆっくりと目をこすりながら、のんきにあくびをして薬師寺は起きた。

何度か三人のことを見つつ、

「ドレッサーと手鏡?白雪姫ごっこでもするの?」

「死体愛好家の王子様はちょっとアレっすねー……」

とかなんとかどうでもいい話をしながら、薬師寺は店内を案内する。

そこには壁にかけるタイプの細かい装飾の鏡や、手のひらサイズの銀色の手鏡。まるで童話に出てきそうな純白のドレッサーなどが雑多になって置かれていた。

そのドレッサーを柚子はキラキラとした瞳で見ている。

薬師寺がそれに気づき、「試しに座ってみる?」と聞き、柚子は即答で「うん!」と答えた。

「すごーい!鏡三つもついてるんだ!あ、こことか可愛いちょうちょがある!」

「それはイタリアのだったかな。柚子なら値引きするよ」

「ほんと?ねえねえ、秋さんと坂本さん家まで運んでくれる?」

秋と坂本は良いよ、と返事をし、柚子は心底嬉しそうに「やったあ!」と声を上げた。

その間秋は手鏡を見比べていて、どれが一番割った手鏡に近いかを考えていた。坂本は普段からこの古物店には手伝いに来ていたから、特にこれといって見ることはなく、いつも通り裏口の方に行き、薬師寺のずぼらな部屋の掃除をしに行った。

しばらくドレッサーを見ていた柚子が鏡越しの薬師寺に聞く。

「薬師寺さんって大きい家の代表なんでしょ?どういう家なの?」

「あー、それオレも気になってた。なんで古物店営んでるんすか?」

ん?と明細書や資料を整理していた薬師寺は振り返り、腕を組んで悩む。いかにもRPGの吟遊詩人のようなキザな表情を作り、

「語れば長くなる話なんだけどね、もともとは薬を信仰対象とした家系で」

「柚子ー、こっちとこっちの手鏡ならどっちが良いと思う?」

「えー!右の方だと思う!」

「語らせてよ~……」

そんなこんなで無事にドレッサーと手鏡を購入。値段はそれなりにしたものの、薬師寺のはからいでだいぶ安くしてもらった。掃除をしていた坂本も戻ってくる。

「はい。今度は割れないように気を付けてね」

そう言って薬師寺は三人を見送る。

ドレッサーを秋と坂本は二人がかりで運び、柚子は手鏡を大事に持っていた。

「……そういえば、長くなるからーって遮っちゃったけど。薬師寺家ってなんなんだろうね?」

「さあ。でも調停者に深く関わっている家であることは間違いないよな」

そう言いつつ柚子の家まで運び、「また明日!」と柚子は家へと入っていった。

はあ、と息を整えながら二人も自宅へと向かう。その途中、坂本が唐突にポケットから何かを取り出した。

それは絆創膏だった。坂本は秋に差し出す。呆けた顔の秋の指には、割れたガラス片を集めていた時に出来ていた傷があった。

「ほら、帰ったら貼っておけ。あと一応消毒もしとけよ」

いつも通り、ぶっきらぼうに絆創膏を渡す坂本。それだけ言って坂本は自宅へと向かう。

秋は照れからか、それとも反抗からか、「……うるさいやつ」とだけ言って、坂本の後を追いかけた。

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「れいんとさかもと」短編

お題 「鏡台の前」「薬」「語る」

キャラ(今回は5人)

 「坂本秋」「桜庭昌宏」「坂本一」「鷹村柚子」「薬師寺旭」

@haidukiichi
自創作「れいんとさかもと」+三題噺を書いたり、気まぐれに日記を書いたり。 みすでざ→misskey.design/@Haiduki_Ichi