自分はいま、人生の転換期にいるのだ。そういう漠然とした、しかし確かな感覚があった。それは明るくて元気のある感情では決してなかった。むしろ、いまある自分はもうすぐ終りを迎えるのだという、緊迫した感情。大げさに言えば「ここで跳べなきゃここで死ぬ」と思っていた。しかしだからこそ、それは力が湧いてくる予感でもあった。
人生を変えるには、付き合う人を変え、居場所を変え、時間の使い方を変える必要があるという。だからそうすることにした。目についたもので、人生の変調になりそうなものを進んで試した。知らないフェスの運営に参加したこともあった。一度しか会ったことのない人に一泊二日のツアーをお願いしたこともあった。1日あたりの勤務時間を2時間増やしてみたり、哲学者のおっかけをしてみたりもした。
変調と行っても、それまでのリズムを断絶したいわけではなかった。もとのリズムと地続きではある新たなうねりを生み出して、いつのまにかメインカラーが入れ替わっているようなトランジションを意識していた。ただ投げ出すだけだと死にきれないと思った。いや、本当はただその程度の器だっただけなのかもしれない。
中でも最もそれらしいトランジションは、引っ越しだった。大学入学から5年間住んでいたこの部屋を、大学1年のときにはすでに「30まで住めそうな部屋だね」と言われていたこの部屋を、出なくては始まらないことには早くから気づいていた。しかし、度重なるトラブルで、引っ越しを思い立ってから入居先が決まるのに1ヶ月半、入居にはそこから更に1ヶ月を要した。
自分はインテリアが好きなのだと、それまでよりずっと強く自覚したのは入居までのこの1ヶ月のことだった。中高の時に実家を新築したときから建築は好きだし、北欧スタイルを好む母の影響下にあったことで生活空間に対する美意識も多少なりあった。だからまあ、新居のインテリアを考えることはきっと楽しいだろうと予想はしていた。それでも、空っぽの引っ越し先に新しい自分の空間を、いや新しい自分そのものを構築するという経験は、それまでとは質の違う、想像もしなかったインテリア愛を喚起したし、その静かな狂気には自分でも半ば驚いたほどだった。
入居先は、大きな窓の1Kだった。北向きの壁一面をはめ殺しにした大きな窓。それがほぼ唯一にして最大の入居の決め手である。吹き抜けの空間の一面に上下の大きなガラス窓が特徴の、ちょっと前まで新築だった実家との共通点でもある。
大きな窓の前には、ダブルベットがすっぽり入る空間と、備え付けのライティングレール、そして窓から入る柔らかな光を一身に受ける白い壁がある。その空間にセミダブルのベッドを置き、ベッド頭にもなる白い壁に大きな絵を飾り、ベッド脇に寄せてラウンドのダイニングテーブルを置くことは、間取りを見た瞬間からほぼ決定していた。これがこの部屋のメインである。あとはそこに辿り着くだけであった。
ベッドはすぐに決まったが、絵画と机を探す旅はそれはそれは長く続いた。ラウンドテーブルはインターネットと青山と表参道と原宿と新宿と渋谷のインテリアショップを一通り見て回っても決められなかった。これはと思うものはいくつもあったが、予算部門が中々ハンコを出さなかった。絵画に至ってはどこを探せばいいかもよくわかっていなかった。アートを買った経験は、美術館のおみやげコーナーのレプリカか、スマホケースと同じノリで絵柄を選んだポスターくらいしかなかった。ちなむと当時23歳である。
一度脳が擦り切れるほどテーブルのチョイスを考え尽くして、部屋の他の部分から先に決まっていくようになった。元の部屋から持ち込んだものはほとんど無い。ワークスペースもキッチンもゼロベースでのリデザインである。配色だけは頭の中にあって、深いグリーンとウッドのブラウン、差し色にはシルバー。キッチン周りはステンレス素材を中心に比較的すぐ決まり、ワークスペースも一瞬ジャン・プルーヴェで揃えようと魔が差したところメインスペースとの個性の衝突を冷静に判断してほどよい選定に落ち着いた。
いや、本当はこんなに簡単には決まってない。ワークデスクを選ぶのには部屋が決まる前も含めて2ヶ月は悩んだし、一度決めたと思ったものについても何度も右往左往した。最終的にはメインを支える予定だったキャビネットをバッサリ捨てることになった。ダイニングチェアも気に入るものが見つからなくて、結局韓国の作家さんのものを個人輸入した。間取り図をスキャンして寸法を厳密に測りながら家具の配置のシミュレーションを幾度となく繰り返し、予算部門とも相談しながらたくさんの家具の組み合わせを考えた。
その時間は果てしない苦行、ではなく、純粋な至福だった。調査の手が、組み合わせのアイデアが止まらないのだ。とある日の朝6:30にインテリア研究のためにインスタを開いて次に気がついたときには23:30だったときは、ああこれがあのお姉さんの言っていたタイムリープってやつかと思った。
インテリアというのはマルチトラックの音楽と同じである。複数の音の重なりが全体を構成している。一つの音だけでは到底全体の次元を表現できないが、同時にその一つ一つの音たちが単体で全体を象徴するようなものであってほしい。一は全、全は一なのだ。その関係性が空間である。この複数の次元・リズムは到底言語による思考で掌握できるものではなく、よって身体の共鳴反応を研ぎ澄ませることが必要となる。グルーヴを掴め。友人がDJをやっているというので見に行ったことがあるが、なるほどこれはインテリアデザインと全く同じであるなとあとから思った。
さてさて自分の狂気にだんだんと気づき始めた入居一ヶ月前の頃合いに、今ではこの部屋の顔となった絵画と運命的な出会いを果たした。何しろこの部屋のこの壁に飾るべきなのはどんな絵なのか、想定の配色とマッチするものは本当に見つかるのだろうかととても長い間考えていたものですから、その絵をひと目見たときの衝撃と言ったらもう額にフルスイングでバットを喰らったと言っても過言ではない。「これしかない!これしかないじゃん!」とひとり狂喜乱舞ヘヴィメタルした夜の明くる朝には購入のサインを済ませていた。新居の家賃3ヶ月分、当時人生最高額の買い物である。
このとき、思わぬお土産が2つあって、まずアートの買い方がわかった。「これは自分のものだ」と思ったら買う。以上。もう1つ、たまたま展示会に来ていたその絵のアーティストさんから面白い話が聞けて、「絵を描く時は最初からイメージがあるんですか」と質問したら「そうですね、大体最初にイメージがあります。あとはそこに辿り着くまでに素材との対話を重ねるだけですね。」だって。なんだ俺のインテリアデザインと一緒じゃん。俺は巨匠だった。
不思議なもので、1個決まればあとは全部決まっていくというか、それまで悩みに悩んでいたダイニングテーブルの選択も絵の購入直後にスッと定まった。光沢と曲線が美しいチェリー材のラウンドテーブル。4人分のご馳走が載る直径100センチメートル。子どもができて大きくなったら勉強机にしてもいい。新居の家賃5ヶ月分、当時人生最高額の買い物である。
あとは細かいチューニングを重ね、最終的には学生時代と新卒1年目の貯金をほぼ全部はたいて引っ越しを完了した。注文した家具が全部揃う頃には、数万回目のシミュレーションと全く同じ部屋が出来上がっていた。もちろんここから磨き上げる楽しみはありつつ、新しいスタートラインには立つことができた。
ほどなくして、同僚の中でも最も気の置けない2人を部屋に招いた。すると片方が「はじめちゃんの部屋って、めっちゃはじめちゃんだね」と言ってくれた。そのとき、自分はようやく自らを表現する方法を手に入れたのだと思った。
