父親

hajimism
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違国日記を読んでいて、朝が自分の父親の「探偵」を始める場面がある。自分という「真相」を見つけるために。

朝の父親は「空虚」な人だった。「無」で「社会に交わる気がなく」て、それはオブラートに包んでおくと「真面目」「静観派」で「お喋りが好きでない」。

前に友人から自分の父親のことを「壁みたいな人」と笑って言われたことがあって、「すごいストレートな悪口だな」とか「でもこいつはそういうつもりで言ってるんじゃないよな」とか「まあわかるよ」「でも違うんだよ、実は」「本人も別にそういうつもりじゃないんだよ」「結果そうなってるんだけど」「てか真逆なんだよ面白いことに」とか色々な言葉を畳み込んでその場では「あー、わかるよ笑」とだけ置いておいた。

朝の父親は「はじめさん」で「プログラマー」らしくて、なんか描かれている風貌も自分とどこか似てる気がして、ちょっとドキッとしてしまった。自分を空虚だと思ったことは一度もないしなんなら内面世界はきっと平均よりひだの数が多いと思うけど、なんだろう、「自分が父親と年々似てきてるな」ってこととか、「他人からはそう見えることもある」ってこととか色々踏まえて、自分の父親について思い返した。

もう23だしこないだも父方の祖父母のお葬式とかあったし引っ張ってこればそれはいろんなエピソードがあるんだけど、いやでももしかしたら普通の人よりは少ないかもとか思うんだけど、1つ明確に手前の方にある思い出がある。

なにがきっかけか忘れちゃったけど、けっこう最近家族で鰻屋に行ったときがあった。父は「パーッとやる」のが好きな人で、いつもは静かだけど自分のお金?場作り?で豪勢にやるときは調子がよかった。ただお酒を飲むだけじゃなくて「ごちそうを主催する」っていう要素が揃ってようやく父は饒舌になる(あとはソトで喋るときもちゃんと喋るし営業トークすらする、でもウチでは基本静かって感じ)。

で、話の流れの中で、これもなにがきっかけか忘れちゃったけど、父が「健康で長生きする人に共通することってなんだと思う?」みたいなクイズを投げかけてきて、「なに?」って聞いたら、友達とのつながりをたくさん持ってる人、とか、これはエビデンスが出てるから、みたいなことを答えて。まあまあ自慢げに。

正直その答えを聞き始めてから私の頭のバックグラウンドで猛烈に別のプログラムが走り始めて、話のほうはリズムだけ感じて相槌を打ってたからあんまり覚えてない。というのも、「それはソーシャル・キャピタルってやつだね。他にも...」とか「エビデンスっていうのは盲信していいものではなくて...」とか、父の自慢げな語りに対して冷静に補足・批判できる自分、あけすけにいえば「父のひとつ上を行く自分」に気がついて、それとそれに気がつく自分に対してなんか悲しいような寂しいような気がしていたのだ。

なんだろうな、別にそれ自体はそんなに特別なことだと思ってないというか、若いからってものを知らないとか年行ってるからってなんでもしらなきゃいけないとかってことはないし、得意不得意もあるし、ふつうにあり得る、「流せる」現象ではあると思うんだけど、「22,3の息子が62,3の父を一瞬見下ろしてしまったのだ」ということに、寂しい、いや寂しいよりもうちょっと複雑な気持ちを抱いた。

父は別に空虚な人ではない。無口だと思ってたけど全然そんなことないなってことが最近わかった、なんならスピーチの名手だってことすら判明した。し、自分なりに色々考えている人だ。そして勉強熱心だ。実家の本棚には自己啓発とか学習書とかいろいろあるし。

ただ、多分、それをともに磨く友達がいなかったというか、いやきっとそういう友達はいたんだけどそのタイミングをともにすることがなかったんだろうと思う。そういう自分を気軽にぶつける壁みたいものを持てなかったんだと思う。

おれは持ってたんだよ。持ってる。それが特別なことだとわかったのは最近のことだ。てかこの瞬間だ。「自分はこの点においてはすでに父より分厚い。」それは友人らとたくさんぶつけ合って来たからだ。たまたまぶつけるものをそれまでに色々培っていて、たまたま友人もそういうタイミングを迎えていて、たまたまお互い気があったからだ。

自分は父とまともに話したことがない。いやふつうに話したことはある。でもお互い無口だったし、おれが高校入るころまでは仕事も忙しくて単身赴任とかしてたし、高校入ってからはこっちも勉強ばっかりしてたしで、おれが友人にするような話をすることなくここまできてしまった。そして気づいたら同じかたさでぶつかることはできなくなっていた。だってもうこっちのほうが分厚くて重いんだもん。そのままぶつけたらそっちが受け止めきれないんだもん。いやそれでも無理にぶつけることはできるんだろうけど、「息子のほうがとうに分厚い」という事実に直面する父親を見るのがおれは怖いよ。怖いのかな?なんかでも「そうしないほうが幸せだろうな」って思っちゃってるよ。

でも、そういう自分になれたのは、紛れもなく父のおかげ、父の遺伝子とか用意してくれた環境とかのおかげでもあるわけで、父は自分の一部であって、「あー自分はいま父のいる場所を通り過ぎてしまった」と思っても父を切り捨てるってことはないわけで、前と同じような日常が続くわけで。

なんかでも、こういう気持ちがあったってことを、忘れないうちに書いておきたくなったよ。