親知らずを一本だけ残してここまで生きてきた。
左下は確か大学3年のときに抜いた。まだ生えて間もなかったと思う。
学年まで明確に覚えているのは、サークルの新入部員に「めっちゃ腫れてますねw」と言われた場面が記憶に残っているからだ。
フェイスラインが左だけ四角になっていた。
上の親知らずはどちらも20代のうちに抜いたと思う。すんなりと抜けたのであまり記憶に残っていない。
右下だけ、虫歯にもならず、ほかの歯並びに悪さをすることもなく、私の口の片隅でひっそりと生き永らえていた。
正直、私はこの親知らずを疎ましいと思っていた。
自然界のあらゆるものは左右対称が美しいとされているのに、私の口の世界では右下だけ歯が多い。
ペアになる上の歯がいないので咬み合わせがおかしくなるかもしれないし、顎の筋肉も左右で変わってくるはずだ。
早く抜いてシンメトリーな歯並びを手に入れたい。そう思っていたが、なんの問題もない親知らずを抜くのは歯科医もお勧めしないようだ。
20代後半で歯列矯正を始めて、スペースを作るために上下の健康な歯をで4本抜いたときですら
「親知らずはそのままで大丈夫ですよ」
と言われた(気になったので聞いてみた)。
あってもなくても歯並びには影響しない、私の親知らず。存在感がなさすぎて、なんだかだんだん可哀相にすらなってきた。
そんなわけで、私はこの最後の親知らずを大事に育ててきたわけだが、やはりシンメトリーは諦められきれなかったので
「ワンチャン虫歯になったら抜いてくれるかな」
と、不埒な期待などをしていた。
そこから10年以上の時が流れ、私は母親になった。
自分の歯より子どもの歯について考える時間が増えた。
小さな乳歯をひとつひとつ大事にケースにしまうの、我ながら気持ち悪いなと思う。
親知らずのことは完全に忘れたわけではなかったが、1年に1回くらいは思い出し、「親知らず 左右非対称」とググる程度だった。
そんなときだった。
突然、右下の奥のほうに刺すような痛みが現れた。
しかし痛みの範囲が曖昧で、親知らずなのか、一つ手前の臼歯なのかはっきりしなかった。
休日だったので子どもの対応に追われてしばらく忘れていたら、次は右上の歯が痛くなった。
お前、右下じゃなかったか?
自分の痛覚を疑いつつ、土日もやっているクリニックに電話して急患で診察してもらうことにした。
レントゲンを見た歯科医の診断は、あっけないものだった。
「右下の親知らずの虫歯が神経まで達してますね」
右上が痛かったんですけど……?と聞いたところ、神経が炎症を起こすと痛みが広がって、別の歯が痛いと錯覚することがあるそうだ。
今ググッたら「歯痛錯誤(しつうさくご)」というらしい。試行錯誤と似すぎていてどうかと思う。
歯科医はあっさりとこう言った。
「親知らずは神経だけ抜いて処置しましょう」
そうするとつまりは、死んだ歯が右下に居座り続けるということになる。一生、アシンメトリーフェイスのままということになるではないか。
せっかくの親知らず抜歯チャンス、ここで逃すわけには行かない。
抜くことってできますか?と言うと、善良そうな歯科医は予想外だったという様子で狼狽えた。
「えっ。そうすると今日すぐ抜くというわけにはいかないし、外科手術になるから時間をとれる日に予約してもらわないと……」
外科手術という言葉に一瞬、怯む。そう。下の歯の抜歯は大がかりになる。約20年前に経験済みだ。
歯科医師は私の奢った考えを読んだように言う。
「若いときと違って、痛みとか腫れとか出るかもしれませんね」
こんな何気ないシーンで老いの残酷さを思い知らされたくなかった。
けれどもう引き返せない。シンメトリーを手に入れるのだ。
その日は痛み止めの処置だけしてもらい、抜歯手術の日時を予約して帰った。
不思議なことに、予約の日までは親知らずが痛むことも、歯痛錯誤することもなかった。
人の体では、そういうことは往々にしてある。めちゃくちゃお腹が痛かったのに、病院について診察を受けるころには痛みが引いて忘れかけていたりする。
もしかして抜くほどでもなかったかな、と後悔し始めた。
しかし既に予約をしているのだ、今さらあとには引けない。
私は、20年連れ添った親知らずが最後にささやかな抵抗をしているのだと受け取った。
予約の日がやってきた。
手術は平日の午後1時から。仕事の調整もつけてある。
しばらく食事がとれなくなるからしっかり食べてくるようにとの言いつけを守り、最後の晩餐並みに昼食を噛み締めてからクリニックに向かった。
最終確認のため、施術箇所のみのレントゲンを撮る。
親知らずは大樹のようにしっかりと左右に根を張り、鎮座していた。
「しっかりしてるので抜けるまでに1時間くらいかかるかもしれませんねー」
サラッと言うけど、1時間も歯を抜き続けるってどういう手術なんだろう。ぼんやりしている間に、歯茎に麻酔の針が入る。
ふだん歯の治療で入れるような麻酔より強いものらしく、注射が始まってすぐに心拍数が跳ね上がる。アドレナリンによる現象だ。
このドキドキする感じ、若いときは何ともなかったけど、中年にもなると心臓が止まるんじゃないかとハラハラする。
何回かに分けて打った麻酔がまわる。歯科衛生士が「痛かったら左手を挙げてくださいね」とお決まりのセリフを述べ、手術が始まった。
痛みには大きく分けて3タイプあった。
鋭く突き刺すような痛みと、ぐいぐいと全体を押し下げられる痛み。機械の鈍い振動で頭に響く痛み。
もちろん、ペンチでスポンと抜けるわけではないことは分かっていた。割ったり切ったりいろいろしてるんだろうけれど、詳しく考えないようにしていた。
あと、一番奥の歯なので施術中は常に口の端が限界まで引っ張られ続ける。この痛みも同時に存在しているのが地味にきつかった。
性格的に控えめなタイプなので、よほどの痛みでない限りは黙って耐えるつもりだった。
が、尋常じゃなく痛い。
2回の自然分娩を経験した経産婦だが、出産の次に、もしくは並ぶかもしれない。
麻酔打ってこれかよ。
決して軽い気持ちで選んだ道ではなかったけれど、抜歯を望んだことを激しく後悔した。
だけど、もう既に割ったり切ったりし始めている手術を止めることはできない。
シンメトリーの代償としてはあまりに大きいものだった。
分娩と違ってつらいのは、進捗が一切わからないことだ。
お産は進み方に個人差はあれど、赤ちゃんの頭が今どこにあるかなんとなく知覚できるし、何しろ助産師さんが親身になって伴走してくれる。
頑張って。もうすぐ頭出るよ。最後のいきみですよ。
それに比べてこの歯科医は、実に淡々と抜歯を進めていた。
進捗80%なのか、はたまた20%なのか。
進捗によって後どのくらい耐えられるかが変わってくるから、教えてほしい……。でも20%と言われたら絶望するか。
鋭利な痛みに襲われるたび、足がビクッ!と跳ね上がった。
終わりが見えない苦痛に耐えかね、開かれたままの口で「ンンンンンァ」と気持ち悪い悲鳴をあげてしまった。左手を挙げることすら忘れていたのだ。
「麻酔、追加して」
先生に指示された助手が麻酔を持ってくる。
再び歯茎に麻酔が注入されて、痛みが少しマシに……ならない。
追加の麻酔が効くまでの辛抱だ、と耐えてみたけれど、いっこうに痛みが軽くならない。
今度は勢いよく左手を上げて、もう一度麻酔が追加された。
またしばらく耐えた。でもやっぱり痛い。
もう一度手を上げたとき、歯科医は信じられないことを言った。
「神経が炎症してるので、麻酔はこれ以上効かないですね」
何それ!合法の拷問じゃん!!
これ以上手を挙げようが悲鳴をあげようが、痛みは変わらないということだ。
絶望し、進捗のわからない痛みにひたすら耐え続けた。ときおり気を失いかけながら。
口角は裂け、涙もすっかり枯れ果てたころ、歯科医の手が突然止まった。
「たぶん全部抜けたと思うんだけど、念のためレントゲン撮りますね」
たぶんって何だよ、まだ痛いんだろ、もう騙されないぞ……と思いながらフラフラの足でレントゲン室に向かう。
私の口内を映した写真からは、親知らずの頭も、しっかり張っていた根っこも、綺麗さっぱり消えていた。
時計を見ると、ちょうど1時間経っていた。終わりまで進捗がよくわからない手術であった。
地獄の抜歯から数日経った。
あんなに痛かったのに経過は良好で、次は縫合したところの抜糸をすれば治療終了となる。ドライソケットになることも傷が膿むこともなさそうだ。
ただ、口はまだ裂けている。
腫れも20年前よりおとなしめで、フェイスラインが四角になることはなかった。ということはまだまだ老いてはいないのかな、と調子に乗りたくなる。
鈍い痛みはまだ続いている。まだそこに虫歯の親知らずが存在しているんじゃないかと錯覚するような、不思議な痛みだ。
これも歯痛錯誤の一種で、幻歯痛というらしい。20年連れ添った知己が見せる死後の幻覚、と考えると何だか面白い。
歯の数が左右対称になったことでどんなことが起こるのか。
果たしてあれだけの激痛に耐えるだけの価値はあったのか?
これからの人生をかけて確かめていくつもりだ。
そして、私は皆さんに伝えたい。
親知らず、抜くかどうかはよく考えてから決めましょう。
おわり