私(箱星)の人生を大きく変えたり、思想に大きな影響を与えたりした本を紹介します。
1. 結城浩『数学ガール』
これは絶対に外せません。
高校生の「僕」が2人の女子高校生、ミルカさんとテトラちゃんと出会い、数学を学んでいくおはなしです。
数学が出てくるラノベ風のおはなしの中では、この本は特に高度な内容が扱われています。
こう聞くと難しい本なのかもしれないと思うでしょう。実際この本は難しいです。しかし同時に、わかりやすい本でもあるのです。
この本に登場するテトラちゃんは数学が苦手です。ですが納得できるまで粘り強く追求します。そんなテトラちゃんの目線に合わせて数学ガールを読むことで、数学がわかるようになるかもしれません。
また、難しいと思った部分は読み飛ばしてもOKだと書かれています。初めはストーリーを追うだけでもよいです。後で読み返すと、新たな発見があるかもしれません。
数学ガールを初めて読んだのは中学生か高校生のころだと思います。もちろん最初からすべてわかるわけではないので、何度も読み返しました。読み返すたびに新しい発見がありました。
この本を読んだことは、その後の数学科進学に影響を与えているので、間違いなく一番人生を変えた本といえるでしょう。
2. ジェニー・オデル『何もしない』
何もしないというのは甘美な響きですよね。たくさんのやるべきことを投げ出して、だらだらしたいと思ったことのある人は多いでしょう。
本屋でこの素敵なタイトルの本を見かけたときは、思わず手に取ってしまいました。
しかしこの本で扱っている「何もしない」とはただだらだら過ごすことではありませんでした。むしろ積極的に何もしないことをしているように感じました。
現代社会では、こうあるべきといった価値観を強制されます。そこに、何もしないことで抵抗をしていくことが重要になります。
実は最後まで読めていないので、最後まで読んだら加筆します。
3. 新百姓
これは全く新しい形の雑誌です。出版業界未経験の人たちが立ち上げたこの雑誌にはさまざまな特徴があります。まずは取り扱う書店が限られていること。Amazonのようなサイトでは買えません。さらに、発行部数も限定されており、増刷もされません。これは一冊一冊を大切にしてほしいという思いから来ているようです。
この雑誌を知ったのはとある本屋のYouTubeチャンネルですが、気になって手に入れたところ、共感できるテーマが多く、座右の銘にもしたくなりました。
新百姓の大きなテーマは「資本主義から、つくることを楽しむcreativitismへ」です。より詳しい製作者の思いが「新百姓宣言」に詰まっていますので、そちらをおすすめします。
現在、雑誌は0,1,2号が出ており、それに加えて文庫版の新百姓宣言もあります。0号はすでに完売しており増刷もされませんが、電子版が無料公開されています。
私自身はあまりつくることを実践できていませんが、いろいろやってみたくなる雑誌です。
4. 孫泰蔵『冒険の書』
「なぜ学校の勉強はつまらないのか」「なぜ学校に行かないといけないのか」といった問いから始まる、知的な冒険の記録です。過去の偉人に学びつつ、世界を変える方法を模索します。
この本の著者は上述の新百姓とも関わっており、きっと私の気に入る内容があるだろうと期待して購入しました。共感できる部分が多くありました。過去のブログ記事から再掲して紹介します。
効率のために基礎から応用の順番で学ばされる:確かに数学を学んでいても、発見された順番と学ぶ順番が一致しないことが多い。役に立つことが後にならないとわからない勉強は、大抵つまらない。
学びから遊びが切り離された:遊びながら学ぶと楽しいしよく覚えられる。しかし学校の勉強では切り離されている。これでは楽しいわけがない。
能力は幻想:前に「能力の生きづらさをほぐす」という本を読んだことがあるが、それと通ずる部分も多そう (内容忘れちゃったけど…)。人々は能力とかいうなんかよくわからないもののために日々努力を強制される。「お前の人生が上手くいかないのは能力が低いからで、能力が低いのは努力不足だからだ」といった自己責任論が蔓延している。著者も百害あって一利なしと強く言い切っている。
答えようとするな:問題解決だけを考えていると視野が狭くなりかえって上手くいかないことが多い。逆に違うこともやることで意外な発見があることも。だから役立つことだけをやるのではなく、むしろ好きなことを探究する方が世の中をよくする可能性がある。選択と集中にも同じことが言えそう。
この本のテーマはAI時代にどう生きるかということです。現在進行形でAI技術は進歩して世の中を変化させている一方で、教育や労働は古い時代のままです。このままAIの進化が加速を続ければ、いずれ人間は人間らしく生きることができなくなります。そうした中でどうすればよいかという問いへの解答はありませんが、だからこそ私も冒険に出てこの問いに向き合っていきたいと思いました。
「答えるのではなく、問いを立てる」という考え方はこれからの時代ますます重要になると考えています。知識を蓄えるだけの勉強よりも、探究型の学習がますます重視されるでしょう。
5. 松村圭一郎『くらしのアナキズム』
私がしばしば「ゆるふわアナーキスト」を名乗っているのはこの本の影響です。
アナキズムと聞くと国家を破壊することをイメージするかもしれませんが、この本ではそういった「社会をどうするか」ではなく、「私たちがどうあるか」が主題であるように感じました。
この本の感想も過去のブログ記事より引用します。
一章を読んだ。国家がなければ「万人の万人に対する闘争」状態となると思う人もいるかもしれないが、そうでもないらしい。そもそも国家はある程度人がいないと成り立たないので、人を集めるために争いを仕掛け捕虜を集めていた。国家が闘争を生んでいる。農民たちにしてみれば、自分たちが必要な分だけ作物を作ればよかったものが、国家が誕生すると他の人に分け与える分まで作らなければならなくなる。江戸時代の農民も米はとられ、自分たちは他の穀物を食べていたらしい。国家は国民の生活を守るために生まれたのではなく、人々を苦しめるために生まれたのかもしれない。こう聞くと国家カスだなーという気持ちになるけど、このあとどういう話になるんだろう。気になる。
2章を読んだ。読みやすいし面白い。阪神淡路大震災では消防や自衛隊などが救出した割合は2割程度しかなかったらしい。残りの8割は近隣住民などの民間人による救出である。国家の存在が大きくなった現代日本においても、自分たちの暮らしを守れるのは自分たちしかいないということは変わっていない。「くらしのアナキズム」は国家に頼らない生き方を考えるヒントとなる。アナキズムというと既存の国家を打倒する行為を指すと思われるかもしれないが、我々の本当の敵は国家ではないとのこと。政府の中にもアナキズムの考えを取り入れている人がいると紹介されている。
3章を読んだ。リーダーとは何者だろうか。部下をまとめ、責任を取り、ときに強権的にふるまう存在だと思われるかもしれない。この本では人類学の観点から様々な民族を調べ、リーダーとは何かを考えている。例えば、リーダーは自分の持っているものをすべてみんなに分け与えるものだと説明されている。これは現代国家におけるリーダー像とは正反対かもしれない。リーダーは自分のためではなく共同体のために働くもので、共同体の支持を得られないような行動をとることはできない。リーダーを支えるものは「同意」であるとレヴィ=ストロースは述べている。だからこそリーダーは同意を得るために奔走する。これは民主主義的といえるだろう。対して我々の考えるリーダーは決断を下して部下を従わせるというもので、これは民主主義的なのだろうか。我々よりも「国家なき社会」の方が民主主義を実践できているというのは皮肉な話であろう。発展途上国が先進国のような体制を持っていないのは、遅れているからではなく、あえて持たないようにしているからなのかもしれない。
第四章を読んだ。「市場」という空間が大切に守られていたというの、不思議だな~。しかしそれも資本主義の登場とともに消え去った。どうすればあのような空間を取り戻せるのだろうか。
第五章を読んだ。面白いなぁ。我々は政治について多くの誤解をしている。多数決は民主主義的ではないし、政治も政治家にすべて任せればよいものではない。コミュニティの全員の意見を尊重することが大切だから、多数決で少数派を否定すると居場所がなくなってしまう。現代人は急いで白黒つけたがったり、相手を論破しようとしたりするが、じっくり話し合って意見を合わせることが民主主義的なのである。国会でも見られない光景だね。政治に不満を持つ人は多いけど、そういう人たちも「選挙に行こう」としか言わないので、うーんという思いを抱いていた。実際選挙に行くくらいしか方法はないのだろうけど、本来政治の主役は我々一般人である。普通の人たちが話し合いをすることで問題を解決してきた。今や問題があれば政治家や警察など外部に丸投げである。政治を取り戻す、これが最後の章で扱われるらしい。
第六章を読み終えた。これにて読了。コンヴィヴィアルな対話の重要性が繰り返し説明されていた。コンヴィヴィアルの正確な意味はよくわかっていないが、いろいろあるらしい。コンヴィヴィアリティは生産性を追い求める現代の価値観とは対極にあるものらしい。コンヴィヴィアルな対話を行うことで様々な問題に気づき、対処方法をともに考えていくことができる。現代日本では隣の人が困っていても気づかないことが多い。国に任せっきりにするのではなく、我々の手で解決を目指す。これこそがくらしの中にある政治。経済をくらしの中に取り戻すことについても述べられている。現代では稼げば稼ぐほどえらいという風潮になっており、稼ぐためなら他人を犠牲にしても構わないと考える人までいるが、本来の経済は他者と共に生きるためにある。リーダーは共同体のみんなにすべてを分け与えると前の方に書いてあったが、リーダーをリーダーたらしめているのはこういった行為なのかもしれない。他者との関係が自分というものを作り出す、という考えは数学の普遍性とか圏論とかと似てるなと思った。ともかく、現代の経済では役割とか関係とかいうものが無視されているように感じる。奴隷は人間関係を切り離され、単なる労働力として「もの」のように扱われてきた。人間を商品のように扱う価値観が広まっているが、我々も奴隷となってしまうのかもしれない。人間らしい経済を取り戻す必要がある。このままではいけないが、かといって現行の国家や資本主義を倒すのは不可能だし、倒したところで混沌が訪れるだけである。国家や経済の内側で暮らしつつも、ささやかに抵抗する。こうしてよりよい生活を目指す。我々がいい暮らしをできているのも、昔の人たちが抵抗してきたおかげである。言われたことをせずサボる、それだけで抵抗になる。さあ、よりよい生活を目指して抵抗しよう。紹介が長くなってしまったけど、面白い本だった。同じ著者の別の本も読んでみたい。
私たちの生活は様々な技術や人々によって支えられていますが、それらを意識する機会はほとんどありません。それらをすべて自力でやるべきだとは思いませんが、意識することはしたほうがよいのではないでしょうか。
よく自助や公助といった言葉が使われますが、共助の可能性を追求していきたいものです。