本質的に自己中

hakop
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最近まあ色々あって(察して)、また風呂場で内省する時間が増えた。その中で自分って人に優しくできているって思いこんでいたけど実はそうじゃなくて、それは相手にも見透かされているんじゃないかということを思った。

そのことを自分は「本質的に自己中」と呼称している。

具体的には、「相手を助けたり、相手がしてほしい事を汲んで行動するけど、それができるのは自分自身がそれをすることに抵抗がない場合に限る」と考えている。

ここまで書いて思ったが、意外と普通の事なのかもしれない...。ただ何に抵抗を感じるかという所が人とのコミュニケーションだと鍵になっていると思う。

ここの部分が大多数の人間にとっては当たり前だけど、自分は抵抗あるってなった場合は誰かと仲良くなる過程で、私〇〇に興味あるんだという会話に対して、生返事を返してしまって「え?そういうこともやってくれないんだ...」って思われて関係が終わるなんてことがあるんだろうなって思う。というかあった。

これって行きつく先はマイノリティは合う人が少ないから人との関係値が築きにくいってことになるけど、それじゃあ救いがなさすぎない?流石に相性が悪かったで済ませられるのが吉?