いろ・せん

薄明
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最近万年筆やインクにはまってくれた方がいて、やはり好きなものについて熱をもってお話しできる相手がいるということはなんて楽しいんだろう(相手も楽しんでいるような気がするのは私のエゴかもしれないが)、としみじみ思っている。そんな私にもしたいことも、好きなものも、ぼんやりとしてただ自分の体に流れる時間が、外に流れている時間が、鬱陶しいと思うこともあった。それに比べれば、この中年にもなった今、毎日に好きなものや楽しいものを伴わせて歩んでいる現実を幸福と呼ばずにはいられない。そんな好きなものに出合ったこと自体もそうだが、先述のように話に付き合ってくれる方がいることは何にも代えがたい。

そんな話をしているうちに、自分自身の好きなもの、例えば万年筆というものが生み出す要素がたくさんあるなか、自分が好きなスイートスポットのようなところが何なのかを(少なくとも今の時点で、という話)自分の感覚の中に垣間見ることができたりもする。自分で認識していたところよりも、更に細かく――ここだ、というところ。

それは私の場合、線であった。色も好きだし、むしろインクの色も含めてのことだと思っていたけれど、思っていた以上に私は線…ラインに対する好みの感覚のシビアさを持っているようだ。それは他人より優れているとかそういうことではない。あくまで自分の好みのポイントが1点、かなりピンポイントに認識されたというだけのことである。

写真においてもしばしば私が好ましく感じたり、自分の撮る風景や事物においても結果的に重視していたということに気づいたりするのが「ライン」だ。シェイプといってもいい。それが、筆記具が生み出す線においてもかなり大きな趣味を占めていることに気づかされた。

その線、例えば文字が、いわゆる美文字である必要はない。私にとっての好みのエリアに存在する線が引かれたとき、生み出されたとき、私の快楽の信号が激しくきらめき、けたたましく好感を叫ぶ。それが好きなんだ!!と。自分のひく線でもそうだし、他人のものであってもそう。しかし自分の引く線はよく見るもので、さらに言えば失敗したときの印象の方が強いものだから、どちらかというとネガティブな目線で見てしまう。

しかし他人の線はまずもって好奇の視線を注いでおり、一般的に言えば好ましく、そして自分の感覚で言えば食欲に近いほどの欲求で以って楽しもうとしている。ましてやそれが自分に宛てられた文字であったならば!そうでなくとも、人の手の生み出す文字の形それだけで私は喜び蒐集したくなってしまう。

そしてそれを生み出す道具の一つである万年筆が大好きだ。この道具について楽しく、好きな気持ちを語り合う時間が欲しい。好きだ。