hal9777
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公開:2024/7/13

気分転換に別の本でも読もうと思い立ち、ナンシーの『嘘の真理(ほんと)』を読んだ。ベンヤミンが原稿を書いた青少年向けのラジオ番組をまとめた本『子どものための啓蒙』に触発されて、フランスで小学校高学年から中学生とその親をオーディエンスとした「小さな講演会」が季節ごとに開催されているそう。本書はそのうちの一つで、「嘘」をテーマにナンシーが子どもたちに語りかけ、質疑応答している。

子どもとの対話ということもあり、短く内容も訳文も優しい語りではあるが、内容はなかなかに骨太。嘘をつくことそれ自体にある真理、つまり嘘をついているという事実。嘘をつく人の背後にある真理、つまりなぜ嘘をつかねばならなかったのかということ。これらが示すのは、嘘は会話に潜み、信頼に関わるということであり、したがって、嘘は関係に関わるということであるが、しかし同時に、嘘をつくことは関係の切断である。

会話によって接続されつつ、嘘によって断絶されている状態。嘘が決定的に関係を修復不可能にすることもあるが、嘘によって連帯することもできる(たとえば誰かを匿うなど)。この嘘による関係の断面は、我々の共同体としての可能性を秘めてもいる。真理は、我々にとっては曖昧模糊としていて、完全に共有できるものでもないし、また騙されないように真理とされることには常に疑ってかかる必要がある。しかし、その共約不可能性(commensurability)を知りつつ、相手を信頼することが関係の上に生きる上では必要となる。ブランショは『災厄のエクリチュール』にて、「友愛は贈与、約束、類を示す寛大さではない。一方から他方への共約不可能な関係、友愛はその切断、その近寄り難さにおいて結びつけられた外部である」と述べたが、この意味を、実践を考える必要があるだろう。ナンシーの「無為の共同体」以外の意味=方向(sens)でも。


私の日記も自分の中の真理、本当を綴っているつもりだが、当然明かしていないこともある。それはやはり信頼がないからだが、あったとしてもその必要があるのだろうか、その必要を感じるのだろうか。本書で、本当のこととして社会の悪化を説いている政治家がいたとして、その人は当選すらできないと述べていて、都知事選を思わずにはいられなかった。この政治家は実のところ、誰も信頼していないのだから。

ブランショの『明かしえぬ共同体』もナンシーの副読本にしかしていなかったが、この嘘と真理を考慮したら、何か新しい発見があるかもしれない。それはそうと、『災厄のエクリチュール(L'écriture du désastre)』は筑摩書房から長年翻訳予定らしいが、一向に出る気配がない。誰かの引用文しか読んだことがないが、重要な著作であることだけはわかっている。

@hal9777
「誰でもよい、だがほかならぬあなたとともに生きるための言葉を投げつづけなければならない。」伊藤潤一郎『「誰でもよいあなた」へ ― 投壜通信』(p.146)