父に付き添って大宮の盆栽まつりに行った。しかし私は盆栽が気に入らない。その一番の理由としてはそれが自然を造ろうとするところにある。
盆栽は自然を切り取り鉢に再現すること、それどころか自然以上の美しさを創り上げることを目的としている。そのため、剪定はもちろんのこと針金をかけて木の成長する方向をコントロールしようとしたりする。
自然の美しさを再現しようとするこの行為が精巧であればあるほど、不自然さを感じてしまう。それ以上に、自然をコントロールしようとすること、秩序を維持しようとすることに美しさを見出すことへの嫌悪感が強い。売り物以外にも様々な作品展示もあったのだが、政治家のものも多かったのが何とも嫌な感じ。
その意味で言えば、ガーデニングや庭師も同様にあまり好きではない。園芸の場合は、手入れこそするが自然に育つに任せるので良いのだが。そういえば、つくみず先生の『シメジ・シミュレーション』でも可塑的な世界を維持することを仕事とするキャラクターが「庭師」という名前だったな。
逆に考えると、盆栽は作品なのだから当然失敗作も存在するのだろうけど、そちらのほうが見ていて面白いだろうと思う。一方で、生きた芸術とはよく言ったもので、草木の生命力は凄まじく枝や幹の一部が枯れても(ジン・シャリと言うらしい)力強く立っている様子には圧倒される(盆栽の場合は人為的に枯らしているのだが)。