『PERFECT DAYS』の平山さんに倣って木漏れ日を撮ってみた。特に意味はない。
彼は揺れる木漏れ日に、空に、影に、日々変化や新鮮さを感じているが、私にはそうした感性は持ち合わせていない。
姪っ子のお宮参りがあったので訪れた神社だったのだが、鬱蒼とした森の中にあって気持ちの良い場所であった。
でも「鬱蒼」という言葉も、木々が生い茂っている様子を指す割になかなかひどい言葉を当てるなあと思って調べたところ、「鬱」は第一義的には「草木がこんもりと茂る」ことらしい。もっとも、江戸時代にはすでに「鬱症」や「気鬱」という言葉が日常的言語として用いられていたようだが、「ふさがる。気分が中にこもる」というのは第二義的であったようだ。
光があれば影が生まれるように、生い茂ることで塞がれる何かもあるということなのだろうか。
しかし逆説的に、鬱ぎがちな気分にも、世界にも、エネルギーに満ちた(生い茂った)何かが到来ような希望も持てるような気がする。
デュナミス(dynamis)、可能態、潜勢態としての世界。