日記的なもの

hal9777
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日記的なものをつけたいとは思いつつも、物理的なものでは三日坊主が目に見えているので腰が重かった。

かと言って他人とつながるSNSをそのような場にするには見られることへの気恥ずかしさが強く、現在持っている(滅多に更新がない)Bloggerでは、比較的考えをまとめたものを投稿したいため、そこと一緒にするのもためらわれていた。あとアナリティクスが表示されているのも邪魔だった。

そんなところで偶然sizu.meを見つけた。

「しずかなインターネット」と言う通り、ネットの喧騒から離れて気軽に投稿出来そうなのがちょうどいい。

Twitterは見たくないものが多すぎるし、他方でBlueskyもThreadsも静かではあるのだが、結局SNSである以上、「見る/見られる」の関係を意識してしまい、日記としては居心地が悪い。

自分でもそこまで「見る/見られる」という関係が嫌なら物理的な日記でなくても完全にプライベートなものを作れば良いじゃないかとも思う。

それでも狭い入口を用意したくなってしまうのは、少しでも他者との関係を持ちたい/保ちたいという一種の承認欲求が私の中に働いているのだろう。

また、私の傾倒しているジャン=リュック・ナンシーの思想の中核にある「実存」の考えは、他者との関係に開かれていることを条件としている。

非公開という閉じられた場に日常が刻まれることによって、自らの実存が薄れていく恐怖がある。

別に他者にしっかりと見られたいというわけではなくて、ただその可能性が開かれているだけで良い。

こう書いていて思うのは、関係の可能性の開けに実存していることを自覚して、ただ安心したいだけなのかもしれない。

いずれにせよ、ここには日常的なとりとめもないことをつらつらと書き記していこうと思う。

@hal9777
「誰でもよい、だがほかならぬあなたとともに生きるための言葉を投げつづけなければならない。」伊藤潤一郎『「誰でもよいあなた」へ ― 投壜通信』(p.146)