仕事の日、だいたい眠い。朝勤だからだなぁ。混まないと思ってたらものすごい混んでものすごい大変だった。混まないなんて保証はないのだ、と唇を噛みながら昨日の仕込みの少なさを恨み廊下を走った。やることで追われてて正直ここまで頑張る必要ってなんだろうとマジで考えた。頑張る意味まではわかっても必要に駆られるとつらい。
5時半から一服も行かず11時半まで、終わらないと思ったし実際終わらなかったしだいぶめげながら休憩で吸うタバコが2本しかないことに出勤時の自分を恨んだ。2本で何ができんねん、2本でやる気入れられると思ってんのか、と悪態をつきながらいつも通りの時間に戻った自分を褒めたたえた。納品が多すぎてキレそうだった。キレなかったのは、疲れが上限を超えてたから。頭がぐるぐるしながら納品をしてたら本当に吐き気がして、結構頑張ると結構しんどいんだなと実感。座り込みそうになるのをこらえながら30分残業して退勤。帰り際彼氏と少し話せて嬉しかった。
久しぶりにaikoを聴くと色んな思い出が蘇る。中学生で初めてTSUTAYAにCDレンタルをしに行ったあの日、塾の帰り道ウォークマンで聴いたカブトムシ、高校生のとき1時間の通学時間で聴いたキラキラ、2つ上の彼氏が出来たとき共感したストロー、後輩と行ったライブで聴いたbe master of life、学生時代に1番聴いていたけど1年に1回は全部聴き返してまた聴かなくなるのを繰り返していたので記憶は新しいまま更新される。好きなアーティストにaikoをあげる人はきっと珍しくないけど、やっぱり自分の中では特別で、思わず口ずさんでしまうしお風呂では熱唱する。人生だ、私の中にはいつもaikoと星野源とずっと真夜中でいいのに。がある。好きな曲が増える度嬉しいけど、やっぱり幹はここにあるんだと聴き返す度に思う。
同棲のための準備は私にかかってるのでいい加減動きたいと思って物件を探し始めた。正直部屋なんてどこでもなんでもいいのだけど、問題が少なければ少ないほどいいのは何にでも言えることなので慎重に決めなきゃいけない。今後の生計は今までとはまたぐっと違ってくるので、何かあった時に自分でケツを拭う準備をしなきゃいけない。自分で決めなきゃいけないこと、彼氏と相談しなきゃいけないこと、ちゃんとリストアップしないとなぁ。ここまで来て本当に辞めたいのかなってちゃんと考えるけど、怖いけどやっぱり次の目星を見るとワクワクしてしまうしやりたいことに近い。まだきっと夢を見ていいはず。縛られるものがないって、きっと私が思ってるより自由に決めていいことが多い。自由には責任が伴うね。誰かのレールに沿って走ってればいいやと思ってたけど、やっぱり自由になれるのなら。自由を選べるのなら、有難く享受して努力すべきなのかも。頑張っても尚どうにもならないことが起きてしまったら、責任をもって頭を下げよう。
姉とは随分電話もしてない。正直顔を合わせたくないので話すこともない。話さなきゃいけないと思ってたけど、話さなきゃいけないことなんて何も無いのだ。話さなきゃ、とこちらが制限をかけているだけであって。ブレーキを踏まなければそれは動くことは無い。私がまだ子供なんだろうな。でも、今まで彼女に怒ってこなかったし怒るほどのことでもないと宥めて生きていたけど、私には私の人生があって、彼女の人生の一部だとしても彼女の人生そのものではない。私の人生は私が責任をもつので、彼女に責任を取らせることは出来ない。なのになぜ傷つけられても尚怒れないんだろう。私の幼い頃からの癖で、衝突が面倒なのだ。ノコギリのような刃を持ってる彼女に研いでない包丁しかない私には太刀打ちもできない。盾など、持っていないのだ。共感能力が高いのはそういう教育を受けてきたからだ。
私は私の人生を、好きに生きることが出来る。それに気づいたのは本当に最近のことで、気づく前から視野がぐっと広くなった。ここから動けない、と自分で決めるのは呪いだ。呪いは自分で解かなきゃ。誰と居ても1人でいても、私は私で生きなきゃ。軸がブレないように、視野を自分で狭めないように、好きな暮らしをするために、糧を1つでも増やすために。私は生活が好きだ。だからそのために、出来ることをしよう。
メロンソーダ/aiko