ふだんはScrapboxというツールに箇条書きでメモをとっている。箇条書きがいいのか悪いのかよくわからない。
ジェフベゾスの有名な話にAmazon社内ではパワポや箇条書きは使用禁止というのがある。文章こそが文脈、論理、ナラティブを正確に表現するからだというような感じだと、多分思われます。別にそこまでパワポが許されざる呪文だというわけではないだろうけど…状況によってはそうしたやりかたが取り入れられているらしい。
それに対してScrapboxの開発者いわくこうです。
黄河とともに4.000年にわたり編まれてきたわたしのデジタルメモ遍歴もアウトライナーからはじまっているのでScrapboxは体になじむところが大いににあります。
ScrapboxはProjectを公開することができる。
Scrapboxの公開Projectを見ていると、公開でも思考の垂れ流しみたいなことをしているものがけっこう見られる。
>主に(cFQ2f7LRuLYP)があとから見てわかるように/あとから見てわからないように 書いているので、必要な文脈があったり、なかったりします ないことの方がずっと多いです
> 自分用のメモを公開している、というスタンスです どんなコンテンツがあるかとかどこからどう読めばいいか等の解説はしません
これを自分で試してみるとえもいわれぬ不快感があり徹底的にしっくりこないのだが、ともかくそういうのを見て、Scrapbox使いたるもの、公開する文章もScrapboxで書くべしみたいな意識をどうやら持ってしまっていたみたいだが、別にそんなことはないな。ベゾスを見習って普通の文章を自分の手で書いてみると、これも久々で自分のかつての手癖みたいなものが半分くらい消えているような気がしておかしい感じがする。おかしい文章だ。
しかし、つづけます。LLMの支援がなかったときはどう書いていたか。いや、どううまいこと書こうとしていたか。いや、どんなツールや手法を試みていたか。うーん。それはアウトライナーだったり、Zettelkastenだったりだ。
ScrapboxではZettelkastenじみたことができるわけだがZettelkastenってそもそも本や論文を書くための知的生産術だったわけですよね。
つまりScrapboxが材料置き場で、そこから拵えたアウトプットが他のどこかにあるみたいな形が全然考えられるはずなんだけど、Scrapboxを使っていると他の人のScrapboxが最終成果物みたいに見えてしょうがなくなってしまう。
それとアウトライナーはWindowsに気に入るソフトがなくて困っています。
Scrapboxの公開Projectには唐突に自分語りとか好きな話を初めて良い、むしろ人のためになるという空気感があり、それが他の場にはたいてい足りてない。Scrapboxのそういうところは好きなのだけど、そのことは思考の垂れ流しを公開するということと表裏一体でもあって気持ち悪い。自分の考えたことのログを公開しておけばきっと誰かの役にたつはずだ!非公開にすることは損失だとかいうある意味過激めなイデオロギーに侵されてしまっていたのかもしれない。しれませんねー。
こういうのもあって新しいブログサービスが登場すると使ってみてしまいたくなる。