春から合唱に入った。2010年に東京を離れるので当時の社会人合唱団を失礼させてもらって以来14年間合唱とはほぼ無縁の生活をしてきた。
単身の時は気ままにゲームやジョギングを続けていたが、結婚して一緒に住み、さらに育児を始めるとそういう時間もなくなって、家族の相手をする。
それが渡米をして、日本人コミュニティで行われている合唱があるということで誘われた。家族が興味を持ち、二週間に一度ある練習に参加し始めた。
日本人コミュニティの活動として9月に地域の日本文化紹介イベントで発表をする。それは日本文化の紹介でもあり、日本人が集って日本を懐かしむ意味もあるのだろう、合唱の選曲には唱歌や歌曲、そして演歌をベースにしたものが並んでいる。
もちろん私は演歌にあまり馴染みがない。いや、もちろん、というのはもう40歳を過ぎた人間には当てはまらないのかもしれない。歳を食って、演歌を好むような時期に差し掛かった、とみなされても不思議ではないかもしれない。ただ少なくともこれまではそれほど聞き込んでこなかった。いや、若い時に少し聞いてみようかと思ってラジオに耳を傾けてみたこともあるが、なかなか根付かなかった。
若い頃は歌手の声の質とか歌のうまさというのもあまりわからなかった。それだけでなく、藝術一般のどこを見ればおもしろいのか、藝術作品の良さはどこで決まるか、という根本的なところでまだ未熟だった。
今も明示的な言葉は捻り出すことはできない。ただ、明示的にわからなくてもいいと諦めがある一方で、そう諦めたらかえってその藝術作品に向き合う時の感覚をが語り始めることもあった。
具体的には自分で鳥肌が立つとすごいと思った。いいものには鳥肌が立つ。
たとえばわかりやすいものでは、ビートルズのジョンとポールの声では、ジョンは歌っているのを聞くだけで鳥肌が立つ。でも、ポールだと、曲まで含めて聴くと鳥肌が立つ。そのようにして、何がいいのかということを考えるよりも、鳥肌が立つかどうかというセンサーを大事にするようになった。これは一方では、もう何か、藝術の良し悪しをはかるセンスのようなものが自分に問われて、マウンティングされるかもしれないというようなことを考えなくなったということが一番大きいように思われる。
最近エドマンド・バーク『崇高と美の観念』が平凡社ライブラリーで刊行されたらしい。この美が崇高と類似のものとしてあり、しかもそれが一種の恐怖に近いようなものとして描かれている、らしい。まだ読んでいないが、その文言だけを見ると、鳥肌と崇高と美というのが近いところにあるというのは決して的外れではないのかもしれない、と思う。
現在の合唱の演目に、千昌夫の「北国の春」が入っている。
そしてこの曲にも私も妻も馴染みがなかった。部分的に聞いたことがあるかもしれないが、聞き慣れていたわけではない。たとえば紅白歌合戦や、のど自慢などで聞くという機会も少なかった。
合唱のための楽譜と、音取り用の音源はもらえるのだが、いかんせん、原曲を知らない。原曲に親しむため、YouTubeやAmazonミュージックunlimitedのようなサブスクで聴いてみた。
曲はなんということはない、都会で一旗あげようと出てきた若者が、家族や、恋人未満だった相手のことを思いながら、北国を望郷するというものである。
千昌夫の歌唱を聴きながらあわせて口ずさんでみた。そして、ついて行くことができなかった。
よく響く明るい声量だけではなく、曲芸のようなコントロールで、音を上下している。あっけらかんとした曲と思いきや異常に繊細なメロディになっている。
YouTubeで確認してみると、一般に合唱版の「北国の春」は、団で行う楽譜とは異なる編曲が流布しているようで、原曲のメロディをどのパートもかなり踏襲したものになっている。ついて行くのは大変だ。団で行う楽譜はもっと簡単に思える。こんな曲芸になっていない。まだ練習中だから全体像が掴めていないが、全パート合わせると、原曲が再現されるのだろうと期待する。いわば曲を「4枚におろす」といった感じなのかもしれない。かねてから、素養のある団員の方が編曲しているそうだ。