エッセイ100本書けるかな

hamaji
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しずかなインターネットと言うサービスを利用し始めて、1ヶ月が経つ。

下書きである「自分だけ」状態と「みんなに公開」状態の扱い方にスムーズな感触がある。ムードも執筆のストレス軽減につながる。

またコードリポジトリサービスのGitHubが提供しているように、作業した日には緑色でマスを埋める、いわゆる「草を生やす」と呼ばれている可視化もやっぱり設計の意図通りにやっていて楽しい。可視化はモチベーションに繋がるだろう。記事を立項する「執筆」と「公開」を分けているのもいい。少しばかり長文のサービスなのだから公開まで漕ぎ着けないことも多いが、この可視化を眺めれば下書きを書くだけでもいいんだと思える。

そして「いいね」みたいな反応がデフォルトではないこともかえって助かっている。反応を求めてしまうSNS依存症に対して反応がないことは嬉しい。感想メール機能がある(とはいえ私はもらったことがない。少しハードル高めなのがいいのだろう)。

そうやって10本ぐらい公開してきたところで、これを続けて100本ぐらい書いていき、電子書籍にまとめるのを目標にしてみようかな、と思った。せっかく、執筆数と公開数を可視化してくれているのだから、これに乗って続けられたら絶好だ。


本を書くと言うのは10年以上前からの私の宿願である。多分大元を辿れば子供の頃に作文を褒められたとかそういう類の児戯なのだろうが、それすらも曖昧になってしまっているにも関わらず本を書くということが一つの確固たる目的と化している。

本という量と形式に憧れがある。よもやまを書くエッセイにも、何かまとまったことを書いていても、どちらにも憧れる。面白いことを書きたくて勉強し、その内容を自分でちゃんと見つけようと研究を始めたのだが、研究も中途半端、そして今に至るまで何も書き上げることができないで何年もの時間が過ぎた。

その憧れというのには基本的に本を読み通すという経験自体が好きなことがあるだろう。読み始めて読み終わるという時間の経過に伴って、認識が変容したりしなかったりする。それはしてもしなくてもいいのだ。どちらにしてもその本という一つのカタチを経験したことになる。そして、小さい達成感として残る。


自分もそうした本を書き上げようと意気込んでこのプラットフォームに乗っかるわけなのだが、いかんせんプラットフォームの性質からして、まとまった内容か、よもやまか、というときに、どうしてもよもやまエッセイになってしまうだろう。そのようにしてここを書いていく、という宣言としてこの記事をトップに固定することにする。


この記事の主眼とはズレるが、ちょっとツェッテルカステンのような、アイデアライブラリとして使いたいような気持ちもある。そう言う目的にはScrapboxなどがいいのだと承知もしている。あるいは、Notionか。Scrapboxは「草」は生えない。Notionだと草は生えるのだろうか? そう言うユーザー関数を作った例はあるようだった。

@hamaji
インターネットのしずかさに憧れながら近寄れないでいたのをほんの出来心でアカウントを2024年4月9日開設しました。世界一物騒な名前の育児ブログを thinkeroid.hateblo.jp で書いていますが、すぐ珍文の羅列になってしまうので、ここではせめて鎮文にしたいと思っています。米国セントルイスで生活し研究し育児しています。