物理が先か生物が先か

hamaji
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このツイートを目にして自分の経験に照らして正しいと思う部分もあった。

わたしは高校で生物を受講しなかった。大学受験では物理と化学を選択した。ただ大学入学後に思うところがあって生物に興味を持った。もっというなら小学校に入る前は植物図鑑を眺めて標本を作る真似事をしたり自宅の裏山で化石を拾い、中学では園芸に興味を持って関連するいろいろな本を読みふけっていたから、生物への興味が復活した、という表現にちかい。

生物学を専攻する決断をした後に、進化という現象の面白さを知り、興味がさらに引き寄せられた。その時には恥ずかしいことに物理学の理解ができなくなっていた。

大学入学時点で物理・化学の基礎的な理解はできていたと思っている。基礎的というのは、物理であれば系を理解し立式して、方程式を解くことだった。なおこれも一文前で学部レベルで理解が止まったということでその程度だと捉えていただければ幸いである。


そのような経歴を経て生物学を専攻したわたしは、ツイートの指示する経緯を体現しているかのように見える。では可能だったかといえば可能だったんじゃないかと思うし、物理・化学で入学して生物を専攻して大成している人も決して少なくない印象である(なお私は大成していない)。だから元ツイートが「可能」と言うのは「そら↑そう↓よ↑」みたいな反応になる。

それでその生物学にランディングする過程の渦中のことをふと思い出した。結構、辛いは辛かった。そんなものは当たり前で、前提されている知識を全ては持ち合わせずに専攻しているのだから時々トンチンカンな質問をしてしまうし、専攻の教授には後々まで笑われることになった。告白すれば、専攻の決断から20年以上経った今でも半人前の思いが拭えない。

ただ大成していると見える人ももしかすると、案外に自分がまだ半人前の気持ちでいることはあるのかもしれない。


自分がツイートの指示するコースを取ったため、いわば逆コースである生物から物理と言うことを論じることができない。

物理を勉強していた高校時代だって最初からフンフンとわかったわけではない。最初半年ぐらいはエネルギーや運動量のような概念がさっぱりわからなかった。そういう物理学幼稚園のお遊戯会みたいなところは、お遊戯会といえばお遊戯会なので、その間ちゃんとお遊戯会できた、あるいは言い換えるとお遊戯で済まされる時にお遊戯できたのは幸運だった、と思うことは今でもある。その時のことだって思い出して辛くないわけじゃない。でもその時はみんな出来ていなかった、お遊戯会だから自分だけ明後日の方向のチントンシャンが出来なくて当然なので別に恥ずかしくもない。もし仮に、保育園の時のお遊戯会のビデオで、一人だけ完全にズレてタンバリンを自分が叩いているのを見たところで、結局それは保育園の微笑ましい思い出で済む。物理を勉強していた最初の頃の、エネルギー保存則とか運動量保存則の混同や無理解といったものは、今から考えればそういうズレたタンバリンに近い。

これは、生物学を専攻する、となって生物を知らないと言うのとは話が違う。周りは曲がりなりにもそれで鎬を削ってきている場合が多い。だからその中でできないのはなかなか辛い。幼稚園のタンバリンではなく、有名バンドがドーム公演ツアーするのに自分が新規加入メンバーとして加わります、でもそのバンドの過去の曲とかを全部は知ってるわけではないし、なんならその自分のパートの楽器もよく知りません、と言ったら、「おめえ一体何しに来てんの?」って周りから思われても仕方ない。もしそういうことをするならそれなりに勉強とかも必要だし、自己流なりに色々と積み上げてもいいが、それはそれとしてそれなりに恥をかく必要も出てくるだろう。

それは多分、物理を大学入試程度の練度でこなさないで専攻する時の状況とパラレルにも思う。その上で、数式や概念の操作の練度を向上させる困難もある。こうした概念の操作は相当抽象的で慣れが必要だ。生物はある程度具体的な生物で起きている現象と形態である。この抽象と具体の適性もあるだろう。そして、繰り返すようだが私はこの両コースの軽重を論じる資格を持たない。


一つ気になるのは、生物と物理の両方に興味というのが一体全体どんな了見か、というあたりだ。

具体的にどういう問題に興味があるのかがわからないので何とも言い難いのだが、生物と物理というのはやっぱり頭の使い方がだいぶ違うというのが個人的な感想だ。物理には文字通り原理を追い求めていくことに意義が顕著である一方、生物には多様性の表出そのものに醍醐味を感じる。前々から思っているのは、自然科学という一つの島のようなものを考えた時に、物理はその島にある山の頂上を目指すような登山で、生物はその裾野のさらに裾、海岸線、波打ち際にある諸々の広がりを嘉するようなところがあるということだ。

結局どちらにも興味があって、しかも【どちらの興味も満たしたいのであれば】(←ここが重要)、どちらもやるしかない。


このプロフィールの能書のところで珍文を避けて鎮文を目指すと書いておきながら今回は「物理学幼稚園のお遊戯会」みたいなまごうかたなき珍文を書きこんでしまった。

@hamaji
インターネットのしずかさに憧れながら近寄れないでいたのをほんの出来心でアカウントを2024年4月9日開設しました。世界一物騒な名前の育児ブログを thinkeroid.hateblo.jp で書いていますが、すぐ珍文の羅列になってしまうので、ここではせめて鎮文にしたいと思っています。米国セントルイスで生活し研究し育児しています。