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友達に、「いい奴」がいる。
いい奴のことは、決してぞんざいに扱ってはいけない。 いい奴ってたいてい朗らかだから、こちらもついつい調子に乗ってしまいがちになるけど、いい奴のことは、雑に扱ってはならない。
いい奴とは仲良くいたいし、いい奴のことは丁寧に扱いたい。 そしてその丁寧さのなかには、少量の愛が宿る。 愛はすぐ別の感情に形を変えやすい。 だから、難しい。
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いままでに会ったことのあるいい奴について、思い出してみる。 内定先に提出する資料の締切について、LINEでリマインドしてくれた人。 遊ぶたびに、いち早く「今日はありがとう!」と連絡をくれる人。 待ち合わせのまえに、「気をつけておいで」と言ってくれる人。 長身なのに、いつも私が履く靴に気を配ってくれる人。 彼らはみんな、純度100パーセントの優しさを持っていた。少なくとも、私の目にはそう映った。 ・
いい奴には幸せになってもらいたい。 心の底から、そう願っている。 でも、たぶん、私はいい奴を幸せにすることは、できない。 それはもう既にそう決められているかのように、私の目の前に動かぬ事実として横たわっている。 それは他ならぬ、私自身のだらしない生き方のせいだ。 それを言い訳にして、いい奴の力になれないことを嘆いてみている。 そういう自覚があるだけ、私はまだ善良な人間なんじゃないかと、そう思うことにしている。 私には、いい奴を幸せにする力も、技量も、ない。 だからそういう意味では、私は当然、いい奴なれない。 いい奴が幸せになれるように、隣で静かに祈ることが、私にできる精一杯だ。
就活生のときに選考を受けた某企業の、募集人材要項を思い出す。 「我々の採用基準はただひとつ。『素直でいいやつ』を選んでいます」 その会社には、落ちた。
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いい奴のことを、ただいい奴と形容することしかできない私は、ずるい人間なんだと思う。 かといって、いい奴の人生から簡単にフェードアウトできる勇気なんて持ち合わせていない。 せめて、いい奴のそばで、自分も大丈夫な人間であることを、実感していたい。 ただ、それだけ。