二週間前、二年半付き合った恋人と別れた。 どうやって歩いていたか、どうやって笑っていたか、全く思い出せないくらい。 まさしく排卵みたいに、ぽっかりと身体の芯から大事なものが抜け落ちていってしまったような感覚に襲われた。 でも、元気なのが私の取り柄、と自分に鞭打って、なんとか生活をずるずると続けて今に至る。
ふさぎこんでいてもしょうがない、こうなったら、恋人がいない時期にしかできないようなことをしよう。 ちょうどそう思っていたところ、アルバイト先の先輩が、「渋谷のナイトクラブで有名なDJの公演があるんだけど、一緒に行かない?」と誘ってきた。 クラブにはいつか行きたいと思っていたし、恋人と別れた今がうってつけだと言える。 そして何より、ナイトクラブはナンパが多いと聞くから、気心知れた男の人と一緒に行くのは、安心要素になった。 そして、今日のAM1:00、私の人生初のナイトクラブデビューを果たしたのである。 路上に沿って入場待機列ができていて、私たちはそこに並んだ。 ピンク髪と金髪の屈強なセキュリティーチェックのお兄さんによる検査を受けて、薄暗い階段を地下に降りる。 入場料は、男性が4000円でドリンク一杯、女性が2000円でドリンク二杯と、男女によってかなり差があるのが印象的だった。 クロークに荷物を預け、(600円もした)いざ、メイン会場に入ると、ものすごい音圧で重低音のビートが流れている。 私たちはドリンクを手に入れて、先輩の目当てのDJが出てくるのを待つことにした。
それにしても、私はこの空間がなんだか異様なものに思えて仕方がなかった。夜が更けた先にあるのは、底なしの孤独や言い知れぬ不安といった、物寂しいものばかりだと思っていた。 しかし、この空間でEDMをバックに一辺倒な盛り上がりに狂喜乱舞する彼らたちは、同じ夜更かしをしているにも関わらず、あまりにも私が知っている夜の過ごし方とかけ離れた時間の使い方をしている。 夜が孤独でさみしいものだと思っていたのは、夜の乗りこなし方のパターンを知らずにいたせいなのかもしれない。 こういう世界があるから息をしてこられた人もいるのかもしれない。
クラブを出たのは、AM3:00頃。 この時間に渋谷にいるのもまた、初めてだった。 センター街を抜けて、文化村通りの方へと抜けていくと、朝の三時とは思えないほどに人通りが多かった。これが眠らない街か、と実感する。 お酒を大量に飲んだ後なので、無性に味噌汁が飲みたくなった。 「私、豚汁飲みたいです」 先輩に向って言ったつもりだったが、彼は一目散にコンビニスイーツコーナーに向っていたせいで、私が大きな独り言を言ったみたいになってしまった。 「豚汁、飲みたいよね」 先輩ではない別の誰かの声が聞こえる。 声のほうに顔を向けると、だぼだぼとした派手な柄シャツにこれまたゆるっとしたスラックスを着た男のひとが立っている。 「買ってあげるよ」 その人は私の目線に先にあったインスタントの豚汁を手に取ると、私が口を開くより先に、そそくさとレジに向かっていった。 なんだか申し訳なくて、コンビニを出てすぐのところで慌てて声をかける。 「すみません、PayPayしますので」 「いいよいいよ、買ってあげる。そこの公園で飲もう?」 あー、そういうことだよな、と理解する。 「すみません、連れがいるので……」 「じゃあなおさらだよ。嫉妬させないとそのうち飽きられちゃうよ」 あまりにも暴論だし、そもそも私たちはそういう仲ではない。 いや、でも、勝手に出ていくのはよくないし――。こんな夜に知らない人についていくのは怖いし――。煮え切らない答えをもごもごと口にし、手だけ伸ばして豚汁だけゲットしようと試みる。 はじめは申し訳なさがあったが、今はもうどうでもいい! とりあえず、豚汁だけくれ。 そんな押し問答をしているあいだに、先輩が店の外に出てきた。 「なになに、あんた豚汁で釣られそうになってんの?」 先輩に状況を言語化されて、ものすごく恥ずかしい気持ちになる。 たしかに、今の私は豚汁で釣られそうになっている、なんともちょろい女だ。 先輩の登場により、その柄シャツの男の人はどこかにいってしまったので、私は改めて豚汁を自分で購入した。 結局、一番得したのはセブンイレブンじゃん……。
知らない夜が、まだまだ世の中にありふれているということを、学生のうちに知れてよかったと思う。 渋谷は眠らない街で、いつだって人間が蠢いている。 大蛇の腹の中だ。きっとこれは、大蛇の腹の中。 渋谷はいつも、脱皮の瞬間を待ちわびている。 流行り・廃りを脱皮するかのように繰り返す、それはまるで、大蛇のような。