2020年2月1日。母の命日です。
正直何年に亡くなったか分かんなくなるくらいどうでもいいというか、早く忘れた方がいいくらい、思い返すと恨みつらみばかりになってしまうので精神衛生上よろしくない関係性というか、いや別に仲が悪かったわけではないんだけど……毒親というにはぬるい気もする、可哀想な人でした。
自分が若い頃出来なくて、娘のわたしにやらせたかったことがあるんじゃないかな。本当に「好きにさせたい」という考えの父の手前、黙ってたことがありそう。高校進学の際も、大学選びも、それとなくわたしの「やりたい」を邪魔するような発言と行動を取った人なので。
あと、自分自身がADHDと発覚した今、もしかしたら母もそうだったんじゃないかなと思っています。ADHDじゃないかも。ASDとか。とにかく何らかは持っていたように思える。ただ、うつ病を甘えと切り捨てた上、わたしがメンタルをおかしくする度に知らん顔をしてきた人なので、気づけなかっただろうし気づいたり発覚しても認めなかっただろうな、とも。
そんな訳で、可哀想な人だった、という印象を実母に抱いています。
死に目には会えませんでした。というか父が機転を利かせてついぞ会わずじまいで片付けてくれてしまいました。晩年は本当にこちらのメンタルがおかしくなるくらい、人(主にわたし)の楽しみを僻んで邪魔する人だったのですが、危篤になったのがよりによって観劇のため前入りして友人と外泊をする日。死ぬ時までそんなタイミングなんだ、と父ですら思ったそうで、わたしが母の死を知ったのは命日の翌日の夜でした。
泣いた、流石に泣いたけど。でも正直、開放された感覚の方が強くって。4年経過した今でも自分の気持ちがよく分かりません。時々思い返しては、「あの人はわたしのことを愛していたのだろうか」と疑問に思うことはありますが、もうその答えは手に入れられません。
わたしは万が一今後結婚をしたとしても子供を産むことを拒絶するつもりで生きていますが、その理由のほとんどは母が理由です。真っ当に愛してあげられる自信がありません。真っ当に向き合ってあげられる自信がありません。『第二のわたし』を生み出したくない、という気持ちがとても強いのです。書き出したらきりがないくらい、たくさんの支配と呪いを受けてここまできてしまったわたしのような人間を増やしたくない。そう思うから、子供は絶対に産まないし、育ての親になるつもりもありません。それに、このご時世産んだとして、幸せでいられるかどうかわからないですし。
現在深夜零時半。寝て起きたら、きっと何でもない一日として過ごします。
早く忘れて、彼女に『二度目の死』を与えてやりたいとすら、思っています。