最推しキャラ(千子村正/刀剣乱舞)のことをもっと深く考えたくて、いま猛烈に仏教への興味が湧いている。しかし、知るための、学ぶための取っ掛かりがいまいち思いつかず見当たらず、さてどうしたものか、という段階である。
母方は日蓮宗だ。幼い頃何度か墓参りと法事に連れ出された記憶があるが、母方の親戚とは縁を切ったのでそちらから辿る手立てはない。父の方は(キリスト教の洗礼を受けた祖母=父の母を除き)浄土真宗だと聞いた。しかし、父の旅行について行けば寺社めぐりをすることは出来るが、知識を得るのは難しいと思っている。なぜなら父は自分自身との対話の方に意識がいくからガイド役ではない。自力で何かを感じ取らねばいけない。
昨年の年越しに京都旅行をした時、三十三間堂へ初めて足を踏み入れた。お線香の匂いの漂う中立ち並ぶ仏像をぼんやりと眺め、自分に似た顔と推しキャラに似た顔と推し役者に似た顔の仏像を探していたら、あまりにも様々な表情があるので眺めているのが楽しくなって牛歩どころではなくなってしまい、父が「そんなにお前がここに時間をかけると思ってなかった」と驚いていた。確かに興味深く見てはいたが、きっかけは書いた通り推しに似てる顔を探すところからだったので不純である。ごめん、父よ。
そんなわけで、興味だけはある。紐解いたらインドの方も辿ることになりそうな気配があることはわかっているし、宗派それぞれを辿っていくことだって途方もないことなのもぼんやり察している。
高校時代は世界史選択で特に宗教美術が好きだった(あまりにもニッチすぎて受験に役に立たない知識が増えていくやつ)。だから宗教というものは学問になりうると信じていたのだが、仏教って広すぎて難しい、というのが現状の感想だ。
……ついでに言えば、わたし自身が信じている、馴染みがあるのはどちらかといえば神道の考え方だから仏教がよくわからない、というのもある。
本音を言うと「結局推しを理解するためにはどこからとっかかりゃええねん」である。調べる能力も読み解く能力もそれなりには備えていると自負しているが、入口が見つからないというか入口が多すぎる気がするのだ。個人的には、推しへ最短ルートで早く深く辿り着きたい。その道筋をいま探し始めた。
……結局は宗教より刀や刀工の歴史から掘った方がいいんだろうか。難しい男だな、村正は……