愛用していた茶碗を割られた。自分の不注意で割ったのではなく、父親の不注意で、割られた。
5年くらい前に日本橋のセレクトショップで出会った、穏やかだけど華やかな柄が気に入って購入した子だった。合わせて箸と箸置きも購入したが、箸は(買い替え時だとは言われていたが)勝手に買い替えられ、今残っているのは箸置きのみとなった。
たぶん、わたしの悲しみとかショックみたいなこの感情を、父は理解できていないと思う。本当なら金継ぎでもして使い続けたいくらいだったけど、向こうはその発想もないしそこまでするものだとは認識していないので、提案をぐっと飲み込んでただ割れた姿を前にさよならとごめんねを心の中で唱えるようにするしかなかった。
本当は箸だって捨てる前に一言欲しかったし、わたしはてっきり新しいものを自分で探して選べると思い込んでいた。実際は勝手に捨てられて、勝手に新しいものが買われていた。
単なる日用品であるといえばそれまでだし、そういう考え方を否定する気は無い。けれどもこちらは愛着を持って使っていたので、たった一瞬手が滑っただけで割れてしまったあの姿に、言葉が何にも出てこなかった。後になって涙が出てきて、大切に想っていたことだけは本当だった。
子供の頃は母が言うままに自分で選ぶことなくモノを買われていたことがあり、自分で選ぶ楽しさとそこから湧く愛着を大人になってから気がついたから、多分余計に深く傷付いたんだと思う。この話は父にしていたはずなので、わかっていて欲しかったな、と寂しさが残った。
大切に使い続けてあげられなくてごめんね。5年間、ありがとう。