この話↑に関することで、人生観とかまで語っちゃうような仲になった友人と話していて気がついたことがあって。
多分わたしは推しに自分を重ねた上で応援しているなあ、ということ。
自分のことを自己否定がちというか、自己肯定感が低い割にプライドはそこそこある、みたいなあんまりこう人間として宜しくないと思っているんですけど、あの記事に挙げた推しって「自分なんて」と言いがちなんですね。で、オタクとしての自分は推したちに「そんなことない!輝ける!」と応援する。
なんか多分、本当は他人に(というか恐らくは親、特に母だと思うんですけど)かけて欲しかった言葉を推しに掛けてる気がする。大丈夫だよとか、応援してるとか。
正直な話、今の自分が誰かにそういう優しい言葉、温かい言葉を直接かけてもらっても素直に受け取ることができなくなってしまっているので、自己投影的に推しを応援することで自分で自分を支えようとしてるのかもしれないなあ、なんて考えたのでした。
自己投影型夢女(二次創作においてキャラクターが恋愛する相手を自分自身とする思考の生き物)であることは自覚があるので、もしかしたら全般的にそういう思考なのかもしれない。95%くらい無意識だけど。
自己投影夢に関しては、完全に某キャラクターにある意味での専属メンタルセラピストみたいな役割を与えたうえでそういう妄想をしているので、自分による自分のための幸せの思考術、みたいな感じです。本来なら他人に求めても良かったのでしょうが(恋愛や結婚のようなパートナーシップの本質って相互的な支え合いかなって考えるので)、やっぱりほら、他人だから。簡単には思うようにはいかないし。
なんか真面目な話しちゃった。要するに自分を重ねがちってことです。