最初の文章がこんなタイトルになるなんて、実は自分でもちょっと驚いている。何かを書く、何かを創作するって、生きてることを刻む作業なのだと昨日まで思っていた。なんでこんなタイトルになったんだろう。
週末に実家に通うようになってもう10年以上が過ぎた。高齢の両親は血圧が高いこと以外はいたって健康で、自立していて、本当に子どもたちにとってはありがたい存在だった。それが80歳を過ぎると、母は料理ができなくなり、父は物忘れが激しくなり、夫婦2人の暮らしに何かと支障が出るようになった。それでも昭和の親たちは「子どもに面倒をかけるのはみっともない」という感情が強い(特に母は)のか、日常生活は夫婦だけで乗り切っていた。
私は週末に手作りの料理を持って行ったり、一緒に買い物に連れ出したり、時間があるときはリビングで一緒に紅茶を楽しんだりした。親孝行としてやれることはその程度だった。両親はだんだんやれることが少なくなっていき、出かけることもなくなってくると、2人の世界は家の中だけになる。家の中に夫婦が出会ったころからの思い出や、子育ての苦労、子の自立までのあらゆる「喜び」や「愚痴」が詰まっているのだ。紅茶をすすっているときに、その「喜び」を聞くときは楽しかった。しかし、それが「愚痴」になると、なんともいたたまれない気持ちになるのだ。
「地震のときに子どもも私も見捨てて1人で逃げようとした」「入院したときの看護婦さんといちゃいちゃしていた」「飲み屋の女(母はいつもこう表現した)のほうが私より好きらしい」
そんな母の「愚痴」は常に私を憂鬱にさせた。人は人生の終わりになると、どんな記憶が一番強く残るのだろう。できればいい記憶だけを残しておきたい。残しておいてほしい。ああ、でも、もしかしたら、そんないい記憶を与えることができていなかったのかもしれないな。そう思うと、もっともっと憂鬱になってきてしまうのだ。
そんなとき、ドキリとする言葉に遭遇した。NHKの番組で24時間営業のドラッグストアを定点カメラで追うというものがあった。そこを訪れた高齢の男性が口にした一言が、胸に刺さったのだ。
「自分はどうやって死ぬのだろう」
わが家には子どもがいない。夫と2人の暮らしがこれからも続いていく。今はクルマ好きの仲間や、仕事仲間など世界はまだまだ広い。年を取り、その世界が狭くなったとき、「喜び」の数が「愚痴」よりも多くあってほしいと思う。自分が死ぬときは、愚痴を口にせず、喜びを口にできたらと思う。
どうやって死ぬかは、どう生きてきたかの裏返しなのかもしれない。