私がnoteをはじめたのは2020年の11月。Xをはじめたのは2022年の11月だ。どちらも投稿すれば、なにがしかの反応がある。本当に有り難いことだ。でも、そのスキやイイネとは無縁の場所で、日記のように、自分の思うことを気ままに書き記してみたい。そう思うことも実は多かった。
先日、noteの運営スタッフである、平野太一さんが、こちらのサイトをおすすめされていた。ひと月、日記が続いていると書かれてある。
私もnoteとは違った感覚で、自分の内面を書き留めてみたいと思った。
noteで書くのと、何が違うの?
そう思われるかもしれないが、私はnoteを、生意気にも作品を投稿する場として位置付けてしまったため、雑記や日記のようなものを投稿することに、ちょっとした抵抗というか、勇気が必要になってしまった。
生意気なことなのだが、自分できちんとGOサインが出せるものを、noteでは読んでもらいたい!
そんな気持ちがある。noteにはエッセイや小説を投稿しているが、大抵の作品は完成させるまでに半日以上かかるし、出来るだけ一日以上は寝かせて、見直すようにしている。それでも、投稿後に、やっぱりこっちの表現のほうがよかった、なんて思って手直しをしてしまうのだから、困ったものだ。そういうとき、
うまくなりたいなぁ。
そんなことを思ってしまう。よく漫画家さんが「絵が上手くなりたい」っておっしゃるけれど、その感覚に近い気がしている。これは技巧を凝らした文章を書きたい、というのとは違った感覚だ。明確で正確な言葉が繰り出せるようになれば、ミスは減るし、自分の描いた観念が綴りやすく、伝わりやすくなりたい。だから、うまくなりたいなぁ、と思うのだ。
ここまで、そんなことを書いておきながら、実は、こういう「文章」についての考えや自我を書き記すのが苦手だ。
こうじゃないの? ああじゃないの? 言いたいことは山のようにあるけれど、それを記して、「素人のくせに」なんて思われるのを怖がってしまう。
自分が大事にしていることや、ある種のこだわりを持っていることって、状況によっては、怒りを伴うことがあったり、おかしなくらい自己顕示欲や自己陶酔が湧いたりしてしまう。
これが怖い。
こういう自己顕示欲や自己陶酔って、結構簡単に見破られてしまうし、そういう部分を見られるのは恥ずかしい。失礼な話だが、SNS上で自己顕示欲や自己陶酔を感じさせる文言を見かけたりすると、共感性羞恥みたいな感覚になって、
「わっ!」
と、走り出したくなってしまう。本当に失礼な話なんだけど、投稿した当人が顕示欲を出した瞬間の鼻息や、うっとりと自分に酔っている吐息が、私の首筋を撫でるのだ。そう思うのと同時に、そういう自己表現が出来る図太さを、うらやましくも思う一面もあるのだ。(図太いって、何をするにも大事ですよね)
正直、このタイトルの「つぶやくように、しるしたい」も若干、自己陶酔が入っているような気がしてソワソワしている。でも、ここでは普段抑えている気持ちを少しくらいはひっそり書いてみてもいいかな、と思っている。好きなことを書いてもいいし、苦手なことを書いてもいい。文章の手入れもできるだけしないようにして、ぽつぽつ頭に浮かんだことを自動書記みたいに、ひっそりと記してみたい。
あっちに行ったりこっちに行ったり、書いている話題に統一感はないかもしれないけれど、今こうして、書いていることが、とても気持ちいい。いや、心地いいのかな? もしかしたら、この
「話題に統一感はないかもしれないけれど」
なんて書けることが気持ちいいのかもしれない。noteではたぶん書けない寄り道文章。……書きながら、自分の思考を流し見しているみたいだ。これはもしかしたら瞑想に近いのかもしれない。
このしずかな居場所が、私の心地よい場所になりますように。読んでいただき、ありがとうございました。